Mon journal
最近はあまり頻繁に書き込みできていませんが、思ったことや日々の出来事を少しずつ書きとめています。

2002年02月08日(金) 赤と青…

大臣は言葉に色を感じる傾向があります。

例えば言葉って「言」は青いイメージ。「葉」はもちろん緑だけど。
そういうのって皆感じるのかな?

で、「恋愛」にはやはりピンクと赤を感じるし、
  「友情」には青を感じる。まあ、「情」って字は「青」を含んでるからかも。

…単純だ(笑)


大臣は基本的にはどんな色も綺麗だと思いますが、
黄色やオレンジが好きです。

昔は青だったと思うんだけど、このごろは
あと緑とか、植物っぽい(謎)のが好きです。

黒やグレーも好き。着やすいし。

でも部屋はとにかく黄色いものが多いかな。



と、ちょっと大臣の知られざる一面をご紹介したところで、
またまた恒例のオトモダチ日記。

味をしめてしまいました。
だって書くことに困らないからね〜。

先日のリュカ姫について書いた日記には、
ありがたくもご本人から感想を頂きました。

こういうとき、書いてて良かったなぁ、と心から思います。

書くことで誰かを傷つけたり悲しませたりするのは
私の思うところではございませんので。

でもああいう日記は書く側と書かれる側の関係がよっぽど密でないと
あんなに失礼になっちゃうようなことは書けないっす。

かなり自分の勝手な解釈だからね〜。

でも今日も今日とて書いてみる大臣。
今日は…久しく音信不通(笑)のカウント様について〜。
多分これが本人の目に触れることになるのはもっと先でしょうな。

先に謝っとこう。気分を害したらごめん!と。

カウント様もですね、高校時代からの学友でございます。
彼女にも私はいろんなものを与えられたなぁ。

今の友達の多くは彼女のおかげで出会えたのです。
彼女は大臣の人生においてかなりのキーパーソンです。

最初の印象は明朗快活。って感じ。
なんかバイタリティに溢れているなぁ〜と思ったです。

でもそんなにてきぱき物事を次から次へとこなす、とか
いうわけでもなかった。むしろ

「ああ〜今日の宿題まだやってねぇ〜」とか

「ああ〜明日テストなのにノー勉〜(汗)」とか?(笑)

でもそれがあんまり深刻に見えなかった。
実際本当にやってなかったかもしれないけど。

そしてそんなこと言ってても宿題はちゃんと出せたり、
テストも結果は上々。
そういうところもイヤミがなくて、

一緒にいて何の理由も無いけど
「何だかんだいってちゃんとできる力を持ってる」
そんな印象を受ける方でした。私の友は皆尊敬できる人ですから。

それが私の誇りでもあるのです。勝手だけど。

そんな彼女は私から見て、生命エネルギーに満ちていました。

そして彼女とはふざけたおもしろおかしい話もいっぱいしたけど、
かなり早くから深く突っ込んだ話が出来るようになってたと思います。

私と彼女はよく一緒に帰っていて、
必然的にそうなるための時間やチャンスが多かった。

私と彼女はすごくたくさん話しました。話すだけじゃ足りなくて、
いっぱいいっぱいルーズリーフにびっしり文字を埋めて、
渡しあったりもしました。

それは全く苦じゃなかったし、
そして自発的だった。

学校じゃけして学べないことを学んだような気がします。

彼女と意見を交換し合っていくうちに、彼女がというよりも
私自身がこういう人間なんだ、という輪郭のようなものが
はっきりしていったと思います。

私を私に分からせてくれた人ですね。

彼女は何か困ったことがあっても
くよくよしない、すぐに次へ行けるようなイメージを
私は持っていたのですが、

もしかしたらそういうんじゃないかもしれないと感じてもいます。

くよくよしないんじゃなくて、

諦めているのかもしれないと。

例えばどうしても叶えたい夢とか、欲しいものとか、
皆持っていますか。

夢はなかなか見つからないかもしれないけれど、
そんな夢を見つけたいとか、
心から欲しいと思えるようなものに出会いたい

と思うことはありませんか?

諦めたくないと思いませんか?


私は全く個人的に私だけの主観で彼女を見ているので、
そんなふうに見られていると知ったら
彼女は傷ついてしまうかもしれなくて、

私はそれが一番怖いのだけれど、

書かずにはいられません。

彼女は諦めることが上手すぎるのです。

自分に何が出来て何を手に入れられて…が
もう全くはっきりと分かりすぎてしまっているように見えます。

だから自分を知りすぎている。
自分にとって無駄なこと、有益なことが明確に分かる。
あがいたり、迷ったり、悔しがるようなことが、

少なすぎる。私はそう思う。

それは一見効率的で、よいことのように見えるけれど、
私はとってもわがままなので、

彼女にそんなに上手に諦めて欲しくないと思うのです。

諦めが肝心な時だってあります。

いつまでもうじうじしていることや
ずっと悔しがっていることほど非生産的で、
無駄なことはありません。

でも彼女には、そんな無駄もして欲しい。

彼女はしたっていい。と思います。

例えば友達が私から離れていくとして、

それがどうしようもないことでも、
何やっても無駄でも、

一回くらいは追いかけて
引きとめようとしたっていいんじゃないかと思うんです。

私が去っていく側の人になったとしたら、

私はそんなに簡単に手放してしまっていい程度の私
だったんだ…と思いたくはありません。

やっぱり大切で、…大切なんだと、離れてしまいたくないと
一度くらいは言われたいです。

去っていく前の思い出が
嘘でつくられてたんじゃない
ってことを確かめたいんだと思います。


諦めることは下手な方がいいよ。

可能性という言葉は
私たちが諦めなければ
ずっとずっと膨れ上がっていって、
しぼむことを知らなくなっていく。

信じすぎることは時には残酷な結果をもたらすけど、

信じるっていうエネルギーはとても輝いていて、美しかったと思う。
そのエネルギーを感じるだけでも、価値はあるよ。


といって、価値があるとしてもそれで
何かが手に入ったりはしないけど、
そのエネルギーはきっと
今度手に入れるための原動力に変えられる。

と信じて私は日々、ダメな自分と格闘しています。

他人よがりにならないように気をつけなきゃです。
実際自分がその可能性を信じるからには、
それなりの努力をして可能性を助けてやんないといけないからねぇ。

それはわかっててもなかなか出来ない。

だから可能性は未知数なのだともいえるでしょう。

















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うしゃぎ大臣 [MAIL]

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