まつや清の日記

2005年05月28日(土) 石川知事「約束反故」―その場しのぎの常套手段

 1月段階で「土地収用が認定されなければ、政治的には私への死刑判決と同じ」、その時には出馬しないことを明らかにしていた石川知事。きのうの突然の記者会見で「認定がずるずる先にいった場合、私自身の態度決定がタイミングを失すると、支援者の信義に反したり、不測の波紋を呼びかねない」と発言し、認定がでなくても6月中旬までには出馬表明するという「大きな方針転換」=約束反故を公表しました。

 石川知事という方は、4年前の住民投票もそうですが、県民に約束したことを平気で反故にする事ができる政治家、自分に不利なことが起きれば幾等でも前言翻しができる政治家、まさに官僚政治家です。

 「出馬表明を土地収用認定に一蓮托生」宣言は、四選=多選批判、不祥事の責任追求、辞職要求をかわすために、あえて空港争点に出馬の大義を掲げ、一方で出馬宣言を遅らせることで他の候補の動きを封じる、という極めて狡猾な作戦。

 ところが、国土交通省の認定作業への見通しの甘さから、「自らしかけた罠に自らが縛られる」袋小路に陥ったわけです。そもそも、自らの進退を「土地収用に一蓮托生」するということ事態が、「土地収用=強権発動をもてあそぶ」行為で、政治家としてあるまじき選択でした。100歩譲っても1000歩も譲っても7月6日まで時間があるわけで「じっと待つ」のが本来の筋です。

 それがこともあろうに出馬のタイミングを失すると「支援者の信義に反する」など「自らの信義に反する」行為を棚に上げるその政治姿勢。許すことはできません。本来、ここで発言するとすれば、「今の段階で国土交通省からの収用認定がおりていないことは、私への死刑判決に等しい。確かに告示までまだ時間的余裕はあるが、この短い時間では選挙戦の準備など支援者に多大なご迷惑をおかけする。この際、潔く、出馬を辞退したい。このことが、政治家としての自らの信義に対する身の処し方であると考える。」

 それにしても、我が静岡新聞の報道記事の見出しのつけ方は、ジャーナリズムの原点を失っているのではないのでしょうか。このニュースの本質問題は、約束した「認定後」出馬が、「認定前」になったことです。

 静岡新聞―石川氏、出馬表明へ。空港建設は不退転。
 読売新聞ー事業認定前に出馬表明。知事、来月中旬までに。
 毎日新聞ー石川知事 来月中に出馬表明。「空港事業認定に縛られず」。
 朝日新聞―来月にも出馬表明。知事「空港認定まだでも」。
 中日新聞―石川知事、来月、出馬表明、知事選 空港認定結論待たず。
 産経新聞―知事選 石川知事が出馬表明へ。「空港認定後の」方針転換。
 日本経済新聞―報道なし。



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K.matsuya

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