2004年01月23日(金) |
内橋克人著『節度の経済学』を読む |
内橋克人さんの著書は、読んでいて、いつも心温まるものを感じます。 1990年代以降の新聞での内橋さんの論述を朝日新聞社がまとめたものです。
ミヒャエル・エンデの遺言の話から始まる269ページの書。 <市場原理主義を超えて> <住民自治の原点> <「食の安全}を求めて> <政治のあり方を問う> <「匠の時代」をふたたび>
エンデといえば『モモ』での時間泥棒の話。 何回も読みました。 私にとって、『ゲド戦記』と並ぶバイブルでもあります。
内橋さんは、こうしたファンタジー的夢想と現実をきちんと結びつけて経済を語れる稀有な方です。
いつも感動と刺激を受けてしまいます。 紹介です。
小泉首相の「構造改革なくして改革なし」に対する批判は、ソノ鋭さを象徴。 「錯覚の第1は、過去、日本型成長を可能にしてきた「構造」は既に変わってしまった、という事実の認識いかんに発している。「永遠なる地価上昇」という世界にも例を見ない歪みが喪失してしまった以上、同じ「構造」が前提の「成長」はもはや臨むことは出来ない。・・・第2に「構造改革なくして成長無し」というとき、その成長は何を指すのか。従来型成長、すなわちGDP成長率の数値をもって尺度とするような成長を意味するのであれば、地価動向に大きく依存してきた日本型成長は再び望めるはずがない。・・第3に、「永遠なる地価上昇」によらない経済成長を求めるのであれば、新たな「基幹産業」が立ち上がらなければならない。小泉政権のいう「構造改革」、すなわち規制緩和一辺倒、市場万能の経済政策にそれを望むことは可能か。過去、産業の新旧交代、真の市場創造は、それまで存在しなかった新たな基幹産業の登場によって可能であった。新たな基幹産業はまた新たな技術の創造によって促される。「新基幹産業なくして成長なし」が長い歴史の教訓である」(250ページ)
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