1月17日は、阪神大震災から9年。 95年の1月17日は、私は、たまたま、市議会の会派であった市民自治クラブで同僚の佐野慶子さん、野崎博さんと京都市、西宮市を視察の日。
予定通りに静岡駅に行ったのですが、新幹線が名古屋まで。どうしようか3人で顔を見合わせましたが、私鉄でなんとかと、出発したのです。大惨事を知ったのは、ホテルでの夕刊。まったく、はずかしい限りでした。
2月の始めに、神戸の市議会議員であった井上力さんに連絡をとり、現地に出かけました。井上さんのマンションは無事でしたので、泊めてもらいました。とにかく、あのすごい光景は忘れられません。
あれから9年。 東海大地震は、起きませんでしたが、警戒宣言防災体制が注意報という新しい体制に変わりました。注意報で原発も停止するということも生まれています。東海大地震だけでなく、南海地震、東南海地震の同時発生説も加わり、新たな地震予測も始まりました。それにしても、予知が前提の防災体制です。学会では、予知学を真っ向から批判する学者もいます。
浜岡原発を抱える静岡県、市民による訴訟も仮処分から本訴訟へ転換しました。論点が、かなり専門的になってきていて、その理屈をりきあするのも困難な状況でもありますが、突発型地震を想定した原発震災の被害想定を、また、その場合の避難方法、当然、そうならないための原発の稼動の中止を、きちんと市民の皆さんに伝えていかなくてはならないと、考えているところです。
この間の浜岡の冷却系配管の爆発事故や東京電力の事故かくしにはじまる中部電力の事故かくしも重なって、4機の原発が全部停止するという経験を全県民が共通にしています。自然エネルギーや燃料電池など技術の発展もあります。新しいエネルギー政策の展望も含めて、原発の稼動停止を実現する条件は増大しています。
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