まつや清の日記

2004年01月13日(火) この時代にマッチする憲法制定運動はありうるのか

 民主党大会が終りました。
 06年までに国民主権を柱に憲法改正案を作る、自衛隊の別組織としての国連待機部隊を作る、マニュフェストの深化など採択したとの報道です。

 テレビニュースでは、菅代表の憲法改正案の提案のところでの「憲法制定運動」という言葉がクローズアップされていました。

 実は、この憲法制定運動は、『公共事業は止まるか』(岩波新書)で知られる法政大学の五十嵐敬善教授の呼びかけで始まった市民版憲法調査会で使われている言葉です。1年間かけた討論の結果は『市民の憲法』(早川書房)としてまとめられています。

 この五十嵐さんらの試みは、いわゆる護憲派からも、改憲派からも総スカンで、この意味が何故理解されないのか、五十嵐さん、ご本人から「嘆きの声」を直接に聞いた記憶があります。憲法は本来、時代に合わせて常に国民的議論の中で改正されていくものです。ところが、日本では、こうした民主主義的土壌がありません。というか、50年間の間に憲法が改正されていないわけです。これは、普通に考えればおかしなことです。一方で世界にも稀な9条という武力放棄条項があります。憲法というとこの9条問題としてだけ、実は、大きな議論がなされてきました。

 憲法制定運動という時、この9条をさすのか、憲法のあり方、象徴天皇制のあり方、国民主権、基本的人権、環境権など総体をさすのか、それによって受け止め方はばらばらです。私たちが、解釈改憲として、もはや、許容の範囲を越える自衛隊派遣というで実態の中で、さあ、どうする憲法、であるわけです。ですから、ただ、改憲反対だけではすまない現実の中で、改めて、憲法制定運動が問われているわけです。その意味で、憲法制定運動が、9条護憲派からみれば、制定といいながら9条改憲としてしか理解されない状況があります。

 五十嵐さんたちが継続して開催してきた学習会に1度だけ参加しました。TBSの筑紫哲也さんと民主党の前原誠司さんがゲストスピーカーでした。話は面白かったのですが、議論がうまくかみ合っていませんでした。勿論、筑紫さんは護憲派で、前原さんは条件付き改憲派でした。いずれにしても、私たちが本当に憲法のあり方を考える民主主義的な土台をどのように作り出していけるのか、まだまだ、その段階にいるという現実の中で9条をかえずに、改正ができるのか、皆さんはどう考えるでしょうか。

 


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K.matsuya

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