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2022年10月08日(土) ■ |
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『国際芸術祭「あいち2022」』1日目 |
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『国際芸術祭「あいち2022」』1日目
2010年から三年に一度開催されている『あいちトリエンナーレ』が、前回のゴタゴタ(…)から、『国際芸術祭「あいち2022」』と名前を変えて再出発。第一回あいトリから毎回行っていた者としては、ハァ〜という気持ちがありますが、プログラムはやはり惹かれるものが多い。まあな…現場はいつでもいいものをつくろうとしているんだよ……という訳で今回も行ってきました。
それにしても今回、パフォーミングアーツの日程が出るのを待っていて、チケットを確保してから宿を探したらこれがまーどこも埋まってて焦った。ジャニーズ? 学会? と見当付かず調べてみたら3年ぶり開催のF1GPの影響でした。なんとか泊まるとこ見付かってよかった……。
そして出発3日前になって突然小林建樹のライヴ告知(オフラインでやるの6年ぶり、単独では8年ぶり!!!)があり、予約開始が出発当日の10:00からというので慌てた慌てた。9時過ぎに名古屋駅着、岐阜から来るTAさんとおちあって、10時の開館ジャストから芸術文化センターに入る予定だったのです。結局センターのロビーでチケットをとった(笑)。
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■愛知芸術文化センター会場
ひととおりは観られたが、長尺の映像作品についてはなかなか全編を通して観ることが出来なかった。近辺在住で会期中何度も通えるひとでないと網羅は出来ないな。パフォーミングアーツの開演時間に追いかけられ乍ら、10Fと8F(愛知県美術館)、地下1F(愛知県芸術劇場 小ホール)、地下2F(愛知県芸術劇場 大リハーサル室)を行ったり来たり。
印象に残った作品をおぼえがき。ケイト・クーパー『無題(ソマティック・エイリアシングに倣って)』を観逃したのが無念。今回ガイドマップや案内サイン等がすごくわかりづらい作りだった(こうしたことも含め、運営についてはあとでまとめて書く)。
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・河原温 観ても観ても全容を把握した気持ちにはならない。そうして河原温は生き続けている。
・バイロン・キム『サンデー・ペインティング』 毎週日曜日に空を描くシリーズの、コロナ禍に入ってからの一年間(2020年2月〜2021年2月)。移動を阻まれても、家族と離れても、災害が起こっても、社会不安が膨らんでも、空は変わらず美しい。しかし時に、曇天が作者の心を曇らせ、晴天は人々の心に光をもたらす。ちいさな正方形のキャンバスは、世界へ、宇宙への窓となる。
・リタ・ポンセ・デ・レオン『魂は夢を見ている』 マリンバの鍵盤には、詩人のヤスキン・メルチーと新納新之助が選んだ言葉が刻まれている。鑑賞者は鍵盤を好きに並べ替えて演奏する。詩を生むか、音楽を生むか、どちらにも喜怒哀楽。
・岸本清子 49歳で亡くなった、愛知県出身のアーティストの絵画とパフォーマンス映像。今回初めて知りました。 愛と自由をもって革命を起こそうという情熱は、没後34年の今も強烈なインパクトを観る側にぶつけてくる。参議院選挙に立候補したときの政見放送映像には考えさせられる。目立ちさえすれば勝ち、といった悪ふざけとは違い、真剣であるのは伝わったが……。
・渡辺篤(アイムヒア プロジェクト)『YourMoon』『ここに居ない人の灯り』 「I AM STILL ALIVE」から「I'M HERE」へ。コロナ禍による緊急事態宣言下、孤独を感じているひとたちが撮影した月。ここにいるひとと、「ここに居ない人」。それぞれひとり立つ人間は、同じ月を見ている。 『YourMoon』をそのままポスターにしたものも配布されていました。持ち歩くのが難しく断念。うわん連れて帰って家に飾りたかったよ〜。
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・AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]『ドライブ・レコーダー』 いちばん印象に残ったといえばこれ。自動車産業が盛んな愛知県で暮らす、80歳のとある人物の「私的な記録」。 免許取得から約60年、走行距離総計90万km。これ迄乗った車種、ドライブに行った場所、車内で聴いた音楽、それらにまつわる思い出の数々が綴られている。 ひとに見せるという前提なく、コツコツと続けられていた記録に、ある種の感動が宿る。 高齢者の交通事故や免許返納が問題になる昨今。なんというか、全然知らないひとなのに、幸せなドライバー人生を最後迄送れますように、と祈るような気持ちになった。
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・ホダー・アフシャール『リメイン』 映像作品。10数分のものだったので全編観られた。 流れ着いた多くの難民は、オーストラリアに入国を拒否されマヌス島に抑留される。美しい自然を持つ島は監獄となり、彼らから自由を奪い死へと追いやる。海の青、濡れた木々の緑、生命力溢れる濃い色彩は、同時に色濃く死の匂いを放つ。 エンドロールでは亡くなった方の氏名と死因、年齢。『アメリカン・ユートピア』の「Hell You Talmbout」を思い出す。
・ローリー・アンダーソン & 黄心健『トゥー・ザ・ムーン』 月面への旅。宇宙飛行士気分を味わえるVRには行列が出来ており断念。
・リリアナ・アングロ・コルテス『パシフィック・タイム/民衆が諦めたりするものか!』『Still Hair:アフリカ系住民のコミュニティでの髪型とケアの実践の伝統に関する共同プロジェクト』 アフリカン・ディアスポラ(移民)の歴史を辿る旅。女性の髪が暗号や地図として機能していたことを初めて知る。編み込み模様が脱出経路の地図となり、逃れた先での支援者の情報となり、資金源となる金を隠す容器となる。
・ロバート・ブリア『フロート』 とてもゆっくりと動く彫刻。ものすごく遅いルンバみたいな感じでもある。音も殆どしない。 同フロアの他の展示を観ていて振り返ると、真後ろにいたりしてビビる。魂がない筈のものがかわいく見えてくる不思議。 大小4ついる(あるではなく、ついいるといってしまう)ということだったが、3つしか見つけられず。どこか遠くへ散歩に出てしまったのだろうかなんて思う。
・百瀬文『Jokanaan』 やっと観られた! 二分割された画面の左側にはモーションキャプチャーのモデルとなる男性、右にはそれによって動かされている女性のCG映像。一見、男性=ヨカナーン、女性=サロメの図式。 しかし、オペラ『サロメ』の演奏にのせて「私を見て」と唄い上げているのは男性で、女性像はそれを再現しているデータに過ぎない。 サロメ、CGデータ、女性。彼女たちの主体はどこにあるのか、その感情はどこにあるのか。 対して、力の限り唄い叫んでいるように見える男性モデルの声はミュートされ、動きは全てモーションの素材になる。彼はCG、あるいは女性の形代に過ぎないともいえる。 最後彼らは“別れ”ることになる。容器としての肉体。
・ローマン・オンダック『イベント・ホライズン』 1本のオークの木が見つめる100年間。WW1が終わり、WW2が起こり、キューバ革命が起こり、9.11が起こる……。切り株は1日1枚壁に掛けられていくので、98枚は観られた。あと2枚には何が記されたのだろう。切り倒されたことで、樹齢100年以上のこの樹木の命は尽きたことになる。人類の傲慢さにも思いは及ぶ。
・和合亮一『詩の礫 2022』 2011年震災時の「詩の礫」、コロナ禍の2020年「Ladder」、ウクライナ侵攻以降シェルターから発信を続けるオリア・フェドロバとの往復書簡「Shelter」。さらさらとスクロールし乍らリアルタイムで読んでいたツイートによる詩が、プリントアウトされ壁一面に張り出されている。その物量。ひとつひとつは140字以下のつぶやきだが、それは確かに礫となり、鑑賞者の心に穴を空ける。 思えば“礫”という言葉を覚えたのは聖書からだった。ダビデはひと粒の石で巨人ゴリアテを倒したのだ。
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今回のメインはこの二作品。あいトリ(…)はパフォーミングアーツのプログラムが毎回面白い。キュレーターは前回に引き続き相馬千秋氏。
・百瀬文『クローラー』@愛知県芸術劇場 小ホール 上演時間は20分、各回鑑賞者(体験者といった方がいいのか)は2人ずつ。ホールは暗幕で二分割されており、車椅子の操作等のガイダンスを受け、ネックスピーカーを装着したあとは別々の入口から入場する。つまりひとりきりでの体験。 真っ暗闇。スピーカーから女性の声が聴こえてくる。ぼんやり立ち尽くしていると、淡い灯りが車椅子を浮かび上がらせる。「乗ってみたいと思いませんか、」と声。事前に説明を受けていたとはいえ、どのタイミングで乗るのかは知らされていないので、この台詞のタイミングで乗るのか、このあと「乗ってください」という声があるのかと迷う。ちなみにTAさんは「ほいほい乗っちゃったあとに『乗ってみたいと〜』っていわれた(笑)」そうで、鑑賞者によって上演時間も多少変動があったのではないだろうか。 車椅子に乗り、指示通りエリア中央に灯った電球を目指す。なんだかハンドリムと車輪が濡れている……? 都度消毒しているからかなあなんて思い乍ら進むと、ピシャ、というような音がする。水だ。フロアに水が張ってある! どのくらいの深さなのか? このまま進んでもいいのか? と迷い、恐る恐る進む。電球を見つめていると、遠くからひとの気配。顔をあげると、スリップ姿の女性が立っている。照明の具合で顔は見えない。彼女はゆっくりと近づいてきて、車椅子の背後にまわり、私の乗った車椅子を押し始める。最後の言葉を合図に、車椅子から立ち上がり、彼女と別れる。最初から最後迄、彼女の顔は見えない。 スピーカーから流れてくる言葉は、身障者の性について。話し手である女性の自慰方法、風俗について。男性には射精介助があるが女性にはない、身障者の女性の性は社会から隠されている。そのことに気付かされる。 前述の『Jokanaan』や『鍼を打つ』(再演希望!)もそうだが、百瀬さんの作品には「容器としての肉体」を再認識させる作品が多いように思う。すなわちセクシュアリティ、ジェンダー、身体の自由/不自由。 鑑賞者の性自認と属性によって受け取り方が変わるかも、という意味ではFestival/Tokyoでやったソ・ヒョンソク『From the Sea』を思い出した。 --- ・国際芸術祭「あいち2022」中村蓉×今井智景×百瀬文が語る、現在を“STILL ALIVE”する身体┃ステージナタリー 「(『クローラー』について)“Still Alive”と言って気になるのは、今まで隠されてきた人たちのAliveの声。社会の中で、何が見過ごされてきたのかということです。」
・アピチャッポン・ウィーラセタクン『太陽との対話(VR)』@愛知県芸術劇場 大リハーサル室 事前情報でVR酔いするかも、とのことだったので、事前に酔い止め服用。VR体験は『ダークマスター VR』以来、2度目。このときよりゴーグルが軽かった気がする。 前半30分映像(映画)鑑賞、後半30分VR体験の二部構成。指定の時間に集合し、まずはガイダンスを受ける。入場すると、フロア中央にスクリーンが吊るされており、表裏で違う映像が流れている。映像中の人物はどちらも眠っている。 その下を、30分前に入った体験者がVRゴーグルを装着した状態でウロウロしている。スタッフが巡回して、近寄り過ぎた体験者の間に腕を差し込み、衝突を止めたりしている。 正直そっちが気になって、映像に集中出来ない(笑)。流れとしては、スクリーンの中で眠る人々が見ている夢の内容をVRで体験する、という印象。 巨大な太陽が地上から生えてくる。荒廃した星を歩いていると、その土地が足元から崩れていく。宇宙空間をふわふわと上昇する。精度はかなりのもの。足がすくむが、徐々に慣れてきて、星を探検するような気分で歩きまわる。さっき自分が見ていたように、後の入場者が物珍しげに自分を見ているかも、と思うのも面白い。 ガイダンスで「他のVR体験者は光の玉の状態でゴーグルに映るので、距離感の目安にしてください」といわれていた。目の前をふわふわと浮いている光の玉は、蛍のようでもあり、実際には近くにいるのに遠くに見える星のようでもある。 今、このVRを一緒に体験している見ず知らずのひとたちがそれぞれひとつの星になる感覚。 浮上するシーンで、星はほぼ全員動かなくなる。上昇する感覚はVRによるものなので、自身の身体を動かすことは可能なのだが、それでも動かない。 巨大な太陽に呑み込まれてしまう星もいる。自然と悼む気持ちが生まれる。やがて自分もそこへいくのだ。 宇宙空間に放り出されたような感覚は不安で仕方なく、怖い。しかしワクワクする気持ちの方が若干上回ったのは、太陽というエネルギーと“対話”したからか。 星が生まれ、死に、また新しい星が生まれる。肉体から離れた意識は、その星を移動していく。 『AKIRA』の鉄雄気分も味わえました(笑)。
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