I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME
|
|
2022年08月13日(土) ■ |
|
『世界は笑う』 |
|
『世界は笑う』@シアターコクーン
しかもこの日は台風で、多くのイヴェントが中止になった。コロナの影響で既に初日は遅れている。同じく初日が遅れた『Q』は追加公演が出ていたが、今作はなし。スケジュール的に無理なのだろう。これ以上休演を出したくないだろうなあと思いつつ、お知らせが出ていないかチェックしてから渋谷へ向かい、駅ビルでもう一度SNSを覗く。マチネが終わり、ソワレも行われると確認し、劇場へ向かう。最近は開場して席に着いてから公演中止を知らされることも増えているようなのでドキドキしていたけど、無事開幕。
風雨がいちばん酷かった時間は上演中。劇場は安全なところだ、そうあってほしいとしみじみ。
-----
昭和32〜34年、喜劇人たちのバックステージもの。実在の人物、場所を織り交ぜ、虚構を描くのはKERAさんの得意とするところ。「ムーラン・ルージュも潰れちゃって」という台詞では、つい先日オンエアされていたNHKのドラマ『アイドル』を思い出す。昭和20(1945)年に空襲で焼け落ち、その後再建したが昭和26(1951)年に閉館した劇場だ。物語は、ムーラン・ルージュと同じ新宿にあった(とされる)劇場、三角座の面々を描く。高度経済成長期に入り活気溢れる東京、しかし戦争により残された傷は大きい。
喜劇に魅入られたポン中の弟、その弟を訪ねてくる実直で優しい兄。兄弟の話でもあり、地方出身者の上京物語でもあり、青春の終わりを描いたものでもあり、ある共同体が崩壊する話でもある。誰かのせいだと責めることなど出来ない。KERAさんの描く喜劇人の悲劇は『SLAPSTICKS』が印象的だったが、笑いを生業にすることの幸福と苦しみを観客はどう受け止めればいいのだろうと考えてしまう。無邪気に笑っていいのか、などと。しかし観客に心配なんてされちゃあおしまいだ、と喜劇人は思うのだろう。
笑いを生業にする人々へつけ込む大衆の残酷さも描かれる。もっと愛想よくしろ、サービスしろ。劇中に出てきたエノケンとトニー谷の話は背筋の凍る思いだった。このエピソードは、清川虹子『恋して泣いて芝居して』からのものだそうだ。元々は山本嘉次郎『春や春カツドウヤ』に書かれていたことだと大友浩氏のブログで紹介されている(後述)が、文体からして劇中で引用されたのは『恋して泣いて芝居して』からのものだと思われる。
三角座の連中には、エノケンやトニー谷、『SLAPSTICKS』でとりあげられたロスコー・アーバックルのような凄絶さはない。それでも彼らは必死だった。初日寸前に台本を渡されても、配役が変わっても、開場前に刃傷沙汰があっても幕は開く。“ショウ・マスト・ゴー・オン”といった矜持を持っている訳ではない。ただただ、とにかく、やらなければ。本能のようなものだ。喜劇人という生きもののせつなさが滲む。
ポン中の弟は、本当に笑いの才能があったのか。正直なところわからない。大衆は移り気で無責任。何が人気と金のタネになるのかわかったものではない。テレビの波に乗れたのが、劇団でお荷物扱いされていた老俳優だというのも皮肉だ。彼はさほど面白いとはいえない一発ギャグを持っていた(同僚からもいい加減にそれやめろといわれていた)が、そのバリエーションで生き残ることが出来た。
とにかくKERAさんの書く会話が巧く、それを語る演者が巧い。リズムがいいともいえる。どの台詞も、この役者のためだけに書かれたかのように生き生きとしている。兄を演じた瀬戸康史の素直さ、弟を演じた千葉雄大の危うさ。弟の恋人を演じた伊藤沙莉の、飴細工のような強さと弱さ。彼ら三人を包み込むようにベテランたちが立ち回る。なんていい座組だろう。しょうがないひとたち、困ったひとたち。どんなにケンカしても、どこかでわかりあっている。どんなにいがみあっていても、笑いにおいてはよき理解者である。笑い乍ら涙が出る。(昭和の)東京オリンピックの5年前、こんなひとたちがいたのだと想像する。まるで知っているひとたちのように思えてくる。
上田大樹の映像はやはり見事。アトラクションではない、こけおどしでもない。演者とシンクロし、登場人物の心情やストーリー展開にしかと寄り添い、視覚効果をブーストする。KERA×上田コンビのプロジェクションマッピング演出は、数多の舞台作品のなかでも図抜けている。今回観ていて、やっぱりちょっとKERAさんが演出するパラリンピックの開会式は観たかったな。なんて思っちゃった。スタジアム規模であれが観られたらねえ。しかし2020〜2021年のオリンピック/パラリンピックを巡る騒動で、それこそ大衆の残酷さを目の当たりにした今となっては参加しなくてよかったかもなんてことも思ってしまう。せつないな。
兄は弟に、笑いのことを考え続けられることこそが才能だという。弟は笑いを信じている、兄は弟の才能を信じている。兄はひとを信じ続けるという才能を持っている。ラストシーンはそんな兄へのちいさなプレゼントだ。全編通して流れるのは「ケ・セラ・セラ」。カラリとした、しかし物悲しいメロディと歌詞。それぞれの人生に寄り添う、どこ迄も優しい歌。
-----
・エノケン子息の葬儀で┃芸の不思議、人の不思議 この時期の大衆は、こういう残酷さをたしかに持っていたと思う。 今日だったら、見物人から「ドッと笑い声がおこ」る可能性は小さいのではないか。 今の人々は、「テレビの向こう側」「スクリーンの向こう側」に対する想像力がある程度行き届いているから、他人の不幸を不幸として受け止める節度をもっている気がする。 --- 2010年12月に書かれたのはブログ記事。今はどうだろうと考える。テレビやスクリーン、webの向こう側を想像すること、それを忘れないようにしたい
・大倉くんの役がとても新鮮で、「え、え、大倉くんがこういう役?」と狼狽して観たところもありました(笑)。二枚目!
・戦時中に活躍した伝説のアイドル。「まっちゃん」を知っていますか? 明日待子さんが生前、語っていたこと┃BuzzFeed おまけ、ムーラン・ルージュで活躍したアイドルの話。ドラマを観ていた時は架空の人物だと思っていたが、明日待子さんは実在した方なのですね。加藤和枝さんが出てくる場面は「あ、美空ひばりだ」とピンと来たのですが
|
|