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2022年05月21日(土) ■ |
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J-Theater『教育』 |
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J-Theater 日本人作家シリーズ 近代⇔現代作家コレクション リーディング公演『教育』@下北沢・「劇」小劇場
目の前にあるテキストを、表現の技術を持つひと、自分の身体を使いどう表現するか追究するひとが演じる。リーディングはとても豊かなものになる。
現代演劇を長く観ていると、なかなか上演には出会えないけれど名前は知っているという劇作家の名前は少なからずある。田中千禾夫もそのひとり。今回飴屋法水が出演するということで、これはいい機会だと観に行きました。
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演出・空間デザイン:豊永純子
父/瑠王(ルオウ):飴屋法水 母/絵礼奴(エレーヌ):岩崎聡子(オフィスKUMA) 娘の上司/翡江流(ピエール):石原由宇(演劇集団円) 娘/禰莉(ネリー):斉藤沙紀(劇団新派)
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母娘のもとへ月一度カネを渡しに来る父親。娘の出生の秘密。病院に勤める娘と、その医師との関係。対話によって浮かび上がる「罪」。
椅子は舞台上に3脚。舞台上部にはリボンで縛られ宙づりにされたマリア像。演者は基本座ってテキストを読むが、状況によって立ち上がったり移動したりする。その場面に登場しない人物は舞台袖の椅子に座り、効果音を担当することもある。効果音は鈴、カリンバ、瓶笛、サウンドホース(っていうのね……調べてみて初めて知った。あれですよ、ヒュンヒュンまわして音を出すチューブのことですよ。ハーモニックパイプともいうらしい)等で表現。
プロデューサーでもある小林拓生がト書きを担当。そう、ト書きも読まれる。そこで説明される登場人物の服装や動作が、実際の演者のそれと同じではないことが新鮮でもある。テキストだけ聴いていると紙幣だと想像される「カネ」が硬貨で、効果音のひとつになっているところも面白い仕掛け。
カトリック信徒ではあったが最後迄洗礼は受けなかったという劇作家の、神と女性への愛憎といえばいいのか、信仰と疑念が描かれる。女に生まれたばかりに背負うことになったという罪は、生まれる前から課された罪=原罪でもある。自分を「教育」しようとする父、母、そして上司に、娘は諦念と執着をたたえて向き合う。外科医を目指す娘が切開する肉体は血を流し、その血は罪で汚れている。舞台上にはない血の色が見えるようなテキストの力。
1950年代に書かれたとは思えない「今」の言葉が並ぶ。冒頭のツイートにも書いたように、「一部不適切」な用語は今でも悪意なく使われていることを実感する。言葉遣いは変えていない筈なのに、アクセントと声色のコントロールによって、時代を感じさせないものとして聴かせてくれた演者の力も大きい。ハラスメントの種がある言葉の数々をスマートに聴かせる。だからこそそれらの根深さが伝わる。上司役の石原由宇、巧かったなー……。マウンティングをギリギリかわいげとして見せることが出来ている。騙されそう(笑)。それは母親役の岩崎聡子もそうで、ふたりの男の間で揺れ動く女性の艶かしさが恐ろしくもかわいいのだ。そんな怪物ふたりと対峙する斉藤沙紀の達観、逡巡、狼狽。見事。
個人的には宗教が人間に課す罪悪感というものにすごいメラメラくるタイプです。というか、罪悪感を煽ってすがらせようとする宗教のあり方が嫌いなんじゃー。そりゃ人間生まれたときからあらゆるものの命を喰って二酸化炭素を沢山排出して自然を破壊して生きてますよ。この地球を守りたいいうたら自分が死ぬのがいちばんですよ。知っとるわ! そんな自然の摂理を罪だ罪だ責めたてやがって〜そもそも原罪って概念自体が罪だわいと思うのですが、罪を背負って生きなければとそんなことを考えてしまうくらい世の中は不条理に満ちているし、神様はいても見ているだけなのよねとしみじみしました。は〜。
実際の年齢とそう変わらない人物を飴屋さんは演じていましたが、それにしたっておじーちゃんないいまわしだな……なんて思ってなんとなく調べてみたら、この作品が初演された1954(昭和29年)の日本人男性の平均寿命は63.41歳だった。成程納得。ハスキーな声が合っていた。「生まれてきたこと」「生きること」を常に見ている飴屋さんと、この作品。繋がっているなあと感じました。
時代といえば、この戯曲が書かれた1950年代って、レジャーとしての登山が流行って、その分山岳事故も多かった時期なのかしらと思った。井上靖の『氷壁』もこの時代。こちらも調べてみたら、こんな資料が見つかりました。
・登山の歴史と文学┃国立登山研修所 「終戦を迎えると,まもなく『山と渓谷』(1946年復刊)や『岳人』(1947年創刊)が相次いで出版され,戦後の焼き野原に登山文化が蠢き出す。」 「そして1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発し,いわゆる特需の恩恵を受ける。これによって戦後復興が加速され,人々の暮らしには余裕が生まれ,山にも行きやすくなってきた。」 「1956(昭和31)年(略)マナスル初登頂の記録映画『マナスルに立つ』は全国で上映され,どの映画館も長蛇の列を作る盛況ぶりであった。また,井上靖の小説『氷壁』が新聞連載され,スペンサー・トレーシーの『山』の封切りなどが拍車をかけ,空前の大衆登山ブームが起こる。」
うーむ、戯曲が書かれた時代背景と現在を照会してみるのって面白いな。「回顧」と「普遍」を知ることも出来る。興味ある劇作家が取り上げられたらまた観に行きたいです。
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・ちいさな劇場行くとほっとするな〜。お初の「劇」小劇場、このキャパにしては天井も高めで圧迫感もなく、いい空間でした
・田中千禾夫氏といえば、Wikipediaにも載っていますが(……)鴻上尚史の芝居を観ていたひとの間では有名な(?)人物でもありました。現代人が抱える罪の意識についてとか、分かり合えるところもあったのかも知れないのにねえと今となっては思う
・「演劇とは風に記された文字である」とはよくいったもので、上演され続けないと忘れられていってしまうなあ。残るものとしての戯曲はあるが、それも読み手がいてこそだ
長年お世話になったKate Coffeeが29日で閉店。下北沢でいちばん利用していたカフェ。アーッいいとこだった! ギスギスしたルールがなくても適度に静かでごはんもしっかり食べられてのみものもたっぷりで。悲しいし寂しいし、そして困る! これからどうすればいいんだ…再開発された駅前のオシャレカフェには馴染めそうにありませんよ……
・早速サンダーキャットのTシャツ着てるひとふたりに遭いました。下北ならでは? にっこり
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