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2020年08月06日(木) ■ |
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南極探検いろいろ その3『その犬の名を誰も知らない』 |
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『その犬の名を誰も知らない』
映画『南極物語』(1983年)やドラマ『南極大陸』(2011年)を観ていたら、きっと誰でも思いあたる。推測はされていたが確証がなかった、その犬の名が明かされる。
なんだかそろそろタロ、ジロのことを知らない子もいるような気もするので概要を書いておきますね。1957年、日本南極観測第一次越冬隊とともに、十八頭のカラフト犬が南極に渡ります。犬たちはソリをひき、隊員たちをサポート。故障した雪上車の代わりも務め大活躍します。翌年2月、引き続き南極で働く犬たちを昭和基地に係留し、任務を終えた一次隊は観測船「宗谷」へ戻ります。ところが想定外の悪天候に見舞われ、日本からやってきた二次隊の越冬計画は中止に。そのまま全員「宗谷」で帰国するようにとの命令が下り、犬たちは置き去りにされてしまいます。誰もが犬たちの生存を諦めていた1959年1月、越冬計画を再開するべく南極へ向かった三次隊員が基地の近くにいる犬を発見。その二頭、タロとジロのニュースに日本中が大騒ぎになります。
こうして書くともう随分前のことなのだなあ。インターネットは勿論、テレビもまだ普及していない。ニュースは主にラジオから。急ぎの連絡は電報が主。終戦から12年しか経っていないのに、南極観測隊を派遣するという一大事業には随分と批判も多かったそうだ。カラフト犬たちも、家庭でかわいがられていたり、働き手(当時カラフト犬は荷物をひく使役犬として重宝されていた)として飼われていたのを引き取ってきた寄せ集め。極寒地で生息する犬とはいえ、それが南極ともなると過酷さも段違い。そんななか、タロとジロはどうやって生き延びたのか? 様々な憶測が飛び交うなか、「第三の犬」の存在が浮かびあがる。「第三の犬」はこれ迄、映画やドラマといったさまざまな創作物に、若いタロとジロを守る存在としてしばしば登場していた。
構成が巧い。読み始める前「あの犬だよなあきっと」と本を開くと、カラフト犬一覧が写真付きで載っている。「死亡」「行方不明」「生存」と分類されており、「生存」欄に既に三頭いる。あれ? この犬なの? 次に、本書の監修者であり一次越冬隊員中ただひとりご存命の、北村泰一氏による証言。最後に、その証言と資料を照らし合わせての検証となります。読み進めていくうち、「生存」欄に載っていたその犬、シロ子は取り残されずに連れて帰ってもらえたペット犬だとわかる。タロ、ジロと一緒に載っているのでここはちょっと引っ掛けですよね(笑)。なあんだ、じゃあやっぱりあの犬でしょ! と読み進めるんだけど、まあこれが焦らされる焦らされる。慎重に検証してるから当然なのですが。終盤「その犬」は「彼」と呼ばれるようになってくる。「タロ、ジロのそばには必ず彼がいた」「残っているのは、彼だけです」…なんか『銀牙』めいてきたわ……「誰よ彼って! 彼でしょ、もおお!」とすっかり書き手のペースにハマってしまう。
そもそも、何故「彼」について2019年迄検証が行われなかったのか。数々の不運が重なったこともあるが、それはやはり「彼」が「犬」だったからなのだろう。「彼」の遺体は1968年、第九次越冬隊員によって発見されている。しかし同時にこの年は、1960年現地で行方不明になっていた第四次越冬隊員の遺体が発見された年でもあり、犬のことはニュースにもならなかった。越冬隊の報告書にも、発見されたという記述があるだけ。毛並、体格といった特徴すら記録されておらず、写真もない。越冬隊員たちには本業がある。やはり犬のことは片手間になってしまう。北村氏が「彼」の遺体発見を知らされたのは1982年になってから。北村氏は一次越冬隊の犬係だったが、本来の職務はオーロラ観測。帰国後も研究に追われ、やっと「彼」について調べる時間が出来たとき、今度は病に倒れてしまう。北村氏以外に「彼」を突き止めようとした人物はいなかったのではないか。タロ、ジロが生きていただけで充分、犬のことはもういいじゃないか……。
タロとジロのサヴァイヴ術に関しても、憶測の域を出ていなかったことが今回明らかになる。ペンギンの肉を犬たちは嫌った。アザラシにとって犬は脅威ではない(=犬にアザラシは捕獲出来ない)。アザラシの糞を食べたという説もあったが、その時期その地域にアザラシは生息していなかった。検証の末判明するのは、タロ、ジロ、そして「彼」は基地に取り残される以前と同じ、いや、それどころかもっと豪華なごちそうを食べていたということだ。そしてそのごちそうは、「彼」の能力なくしてはありつけないものだった。疑問が次々と氷解していく、三頭の行動が次第に像を結ぶ……そのスリルといったら、上質の推理小説を読んでいるかのよう。年老いた北村氏の記憶が、著者の嘉悦洋氏の質問と持参した資料によりみるみる鮮明に甦る様子も感動的だ。
嘉悦氏が北村氏を訪ねなければ、そして北村氏の意欲に再び火がつかなければ、「彼」はフィクションの住人のままだった。記録資料が残され、しかるべきところに保管されていたからこそ、「彼」を実体化することが出来た。運命的なものを感じる一方、やっぱ記録はとらなあかん…そして記録は残しておかなあかん……安易に破棄しちゃダメ! としみじみ思いましたね!
人間の都合で極地に連れてこられ、置き去りにされた犬たち。だからこそ人間の都合のいいように記録してはいけない。学者である北村氏と新聞記者だった嘉悦氏による検証は、極めて冷静で慎重だ。第三の犬がタロとジロを選んで群れをつくったのは情ではなく本能、人間の帰りを待ち基地を離れなかったのは美談ではなく戦略、と断定する。最終項、結論に基づいた「その犬」の最期が描かれる。その文章は論考でもあるが、それでもやはり心を動かされる。最後のページには「その犬」の写真。南極をまだ知らない「彼」が、稚内でソリ訓練に励んでいる。口角の上がったその顔は笑っているようにも見える。
世の中は悪くなる一方のようにも思うが、こうして犬一頭の記録を仔細に残せるようになった今は、少しだけいい世の中、になっているのかもしれない。初めて南極の地を踏んだ、全てのカラフト犬たちへのレクイエム。
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・原案・北村泰一さんインタビュー┃TBSテレビ:日曜劇場『南極大陸』 あああ今ものすごく観なおしたいこのドラマ! サイト残してくれてて有難う〜! こどもたちからの募金が観測へのきっかけになったというのはいい話だなあ。比布のクマの話は本でも語られていたけど、犬の誇り高さがわかるエピソード。 宮沢和史さんが出演していたのも目玉でしたよね。宮沢さんといえば沖縄なのに、こんな寒い地のドラマに出るのん……と当時思った(笑)
・南極猫たけしと仲間たち┃国立極地研究所 (20200825追記:アーカイヴ室はこちら→・南極へ行った猫 たけし┃国立極地研究所 アーカイブ室) コロナ禍で延期されている企画展。開催されたら是非観に行きたいな。 一次隊には猫も同行していました。航海のお守りとしても知られる三毛猫のオス。たけしは一次隊が撤収する際、シロ子たちとともに無事連れ帰られています。で、このなかに、
・昭和基地に行った犬(PDF)┃国立極地研究所 うってつけの資料があった……こんなにいたんだね。七次隊を最後に南極へ行った犬はいない
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