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2020年02月01日(土)
『ウエアハウス-double-』『ジョジョ・ラビット』

『ウエアハウス-double-』@新国立劇場 小劇場

ウエーイかなり! 近年のなかでも! 好きな!『ウエアハウス』でした!

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ヒガシヤマカツユキ:平野良
ルイケタロウ:小林且弥
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久々にふたり芝居となり、話者が少ない分言葉のやりとりがシンプルかつ濃密になった。こちらの注視が分散することが減った。というのも大きいかな。観客の集中度も高く、もともと音が響きやすいこのハコにして客席からのノイズが殆どといっていい程ない理想的な環境。向かい合う客席、スクエアなステージ、張り巡らされるツートーンのロープ(といっても印象は糸)、匣体の椅子5個、ホワイトノイズ、スキルフルかつエモーショナルな対話を操る魅力的な演者。身長差含めたビジュアルと、声のトーンのバランスも絶妙。平野さんと小林さん、めちゃめちゃいい。

台詞のやりとりがとてもリズミカル。スズカツさんいうところの「理屈っぽい台詞」をこうもわざとらしくなく、理解とともに耳に届けるかという……。「対話」がそこにある。あの台詞量、あの説明台詞は演者の実力を露にする傾向がある。「一所懸命に話しているけど、台詞の内容をどう解釈しているのかな? 賦に落ちているのかな?」と聴き手が戸惑ってしまうことって多々あるんです。それが続くとだんだん台詞が音声だけになっていく。それこそ「にゃーにゃーいってる妻」ですね。それが今回なかったな…すごいな……。平野さんの年齢は存じ上げませんが、ヒガシヤマの生活感がしっかり感じられたことにも瞠目しました。「吠える」暗唱のリフレインも、原語で話しているかのような美しいリズム。

参考資料。いやー昔は探せなかったあれこれが見つかるwebって有難い、26年という積み重ねを実感する。

・Howl by Allen Ginsberg┃Poetry Foundation
原語のテキストはこちら、ヒガシヤマが暗唱したのは「III」。

・Allen Ginsberg - I'm with you in Rockland / Scene from the movie "Howl" (2010) with James Franco.

音声が聴ける動画もあったので載せとく、ジェームズ・フランコ演じるギンズバーグ。

「僕らには理解があるんだ」。この言葉をだいじに掌で包みこむようなピーター(ヒガシヤマ)でした。忘れがたい。『吠える』を持っていかれたヒガシヤマは、これから「ジェリーと犬の物語」を何度も読み返し、やがて暗唱するのかな。教会が取り壊されたあと、その暗唱はどこで発表されるのだろう。

一方小林さん。以前から小林さんのジェリー(ルイケ)を観てみたいと思っており、今回のキャスティングはホント願ったり叶ったりで小躍りしたんです。なのでもうオープニング、暗闇に浮かび上がる小林さんの姿を観た時点で感極まりましたよね。眠そうな目をしていて、低いトーンで滑らかに話す。激情の発露が内側(自身)のように映り、そのことが観客の想像力を刺激する。動きがとても静かなところ、「実は妻には」のところで突然声をつまらせる等の言葉づかいは、過去のどの「ジェリー」にもないもので、なおかつとても「ジェリー」で、「ルイケ」だった。ひとの心に棲みつくジェリー。

印象としては、最初期のふたり芝居(+音楽家)を思い出す空気でした。いいものを観た。

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・『ウエアハウス』過去の上演記録はこちら

・稽古場レポート┃SPICE
・公開舞台稽古レポート┃SPICE
・平野良&小林且弥インタビュー┃SPICE

・「類家」ってそんなに珍しい名字だったのか…当然類家(心平)くんのことを思い出す訳ですけども

・おまけ、意味なく動画を張りたい。いや意味はある。この日『ウエアハウス』を観たあと渋谷に行きまして、ハチ公口を出た途端投げつけられる街の情報量に「うへえ」となる。1月30日に発表されたSQUAREPUSHER「TERMINAL SLAM」のMV観賞後、初めて渋谷に行ったということを意識してもいましたが、確かに「このノイズのなか無意識に情報の取捨選択が出来る」ヒトの能力ってすごいなあと感心しましたよね……


いやホント我に返るよ。脳って、人体ってすごいな!

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『ジョジョ・ラビット』@シネクイント スクリーン1


移動した渋谷で観たのはこちら。『ウエアハウス』に登場するヒガシヤマの娘は十歳で、「じゅっさいじゃないよ、じっさいが正しいんだよ。じっさい、じっさい」という。ジョジョはじっさい。十歳の目に映るファシズム、戦争、そして愛。

冒頭に書いたように、登場人物は英語を話す。街なかに張られているポスターやチラシはドイツ語で、終盤登場するアメリカ人はジョジョに向かって何か話すが、それは英語には聴こえなかった(ここ、確認したいなー)。「あー、ハリウッド(アメリカ)って」「無邪気に自動吹替って思えばいいのかなー」「いやしかし、アメリカは文化の盗用に厳しいのに……それと言語を奪うことの違いとは」「『ラストエンペラー』もそうだったけど、あれから何年経っているか……」「マオリ系ユダヤ人(出身はニュージーランド)であるタイカ・ワイティティ監督の意図は………」などとその違和感に考え込んでしまったが、今作は「こどもの見る世界」なので、その矛盾や荒唐無稽さを気にするのは野暮なのかもしれない。前述のアメリカ兵の声も、ジョジョにはああ聴こえたのだろう。

実際、こども目線だからこその省略が効果的でもある。余計な説明がない。ナチスの制服はかっこいい、親に反抗するのはかっこいい、戦争はかっこいい。ともだちは心のなかのヒトラー。キャンプ楽しい、本を燃やすの楽しい。ウェス・アンダーソンの映画のようにカラフルでかわいらしく、しかし強烈な毒を含むシーンの数々。こどもの目線は無邪気で残酷で(あの「ネイサンの殺し方」!)、スポンジのように差別を常識として吸い込む。顔に傷がついてしまった自分のことを、不良品の出来損ないだと思い悩む。しかし、だ。

ウサギを殺すなんていやだな。手榴弾投げるの……楽しい? お母さんがあまり家にいないけど、お父さんの分もいろいろやることがあるのだろう。角が生えていると思っていたユダヤ人は自分やお母さんと変わらない見た目だったし、「交渉」に応じてくれるようだ。そして彼女は僕の知らないことを知っている。スポンジのようだからこそ、その解消も早い。少年は自分のなかに生じた疑問と向き合い、どちらがおかしいか判断出来るようになる。靴紐を結べるようになり、彼女の靴紐を結んであげる。

たまたま手にしたフリペで、ロージーがどうなるかネタバレしているレヴューを読んでしまった(靴の描写だけだったが……あの時代ドイツで何が行われているか多少なりとも知っているひとは、その一文が何を意味するのかは容易に判断出来てしまうと思うのだが)ので覚悟していた。靴紐を結べないジョジョが、おしゃれなお母さんの靴を見る度、胸がうずいた。広場を見下ろす屋根の窓がひとの目のように見える、という演出も見事。


この窓の奥には多くの住人がいて、ジョジョを見つめていたのだ。それを窓の描写だけで見せる。ジョジョを守ろうとした大人たちのふるまいは、彼にとってかけがえのない足跡となる。そんな大人たちであるスカーレット・ヨハンソン、サム・ロックウェルの「粋」、素晴らしかった。

初っ端にThe Beatles「I Want To Hold Your Hand」=「Komm gib mir deine Hand」が、エンディングにはDavid Bowieの「Heroes」=「Helden」が流れる。どちらもドイツ語で唄われたヴァージョンだ。ステップのリズムが高鳴る、静かに喜びがわきあがる。平和の象徴として、当時にはなかったビートルズ、ボウイの音楽が響きわたる。失ったものは大きい。しかしこどもたちは踊る。前に進む。

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・ドイツ外務省は、何故デヴィッド・ボウイに感謝をしたのか?┃BARKS
・映画『ジョジョ・ラビット』をより楽しむための音楽ガイド」┃高橋芳朗の洋楽コラム

・鉄くずを集めたり、紙のようなものでつくられた服を着たり。日本と同じように(規模は違うかもしれないが)物資不足だったんだなあ。ドイツのこういう描写は今迄あまり観たことがなかったので新鮮でもあった