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2019年08月25日(日)
『八月納涼歌舞伎』第二部

『八月納涼歌舞伎』第二部@歌舞伎座



『東海道中膝栗毛』、YJKTも四度目の今回でひと区切りのようです。ふざけ倒してるようでチラチラ猿之助さんと幸四郎さんのマジが見えるところが好きー。とろろ汁屋には滑り台も仕込んでありましたがな。大詰は本水ドバドバですがな。幸四郎さんなんか自ら水量多いところの真下に行ってましたがな。命懸けでひとを笑かしにかかる執念よ。

冒頭示された「夢」が数々の引用を通して見られる。いつの日か隼人くんと新悟くんで『女殺油地獄』が観られるかも、染五郎くんと團子くんの熊谷と敦盛が観られるかも。二年前のYJKTで、狐忠信を「やってみたい、」といった金太郎(当時)くんに猿之助さんが「早いわ!」って怒鳴り返してたけど、そんな日がくるのもそう遠くないと思えるところがいいじゃないの。実際染五郎くんと團子くんの成長は目覚ましく、この演目では本筋にガッツリ噛んだ人物を演じていました。猿之助さんたちは次世代の未来をも見ようとしてる、歌舞伎はまだまだ続くと宣言してる。

あの役をあのひとが、という文脈でいちばん驚かされたのは猿弥さんの娘義太夫。終演後配役チェックしてようやく気付いた有様でした。やー、「義太夫の方も芝居に参加さ(せら)れてる、笑い迄とってる、たいへんだなあ」なんて思って観てたよ! オエーゲホゲホとかいってたけど見事な唸りでしたよ!

それにしてもこの引用、かなりの数。わかればわかる程面白かったんじゃないかなー、奥深いわ……。わからなくても面白く見せるところがまたすごいんだが。とろろによる『女殺油地獄』が白眉。桶が倒れてとろろが流れだした瞬間から、YJKTたちが登場する迄の数分が見もの。ドッとわき、しばらくざわざわしていた客席が、与三郎とお富のからみに見入る。笑いと緊迫感が異様な空気を生みました。その後出入りが始まり、現れた役者たちが次々とつるつるすべっていく有様はドリフ調、やんややんやの喝采に。ドリフってほんとすごいよなーと改めて感じ入った……というかそもそもはドリフが歌舞伎の手法を取り入れたのかな。機動力抜群の大掛かりな装置、廻り舞台による転換。舞台における安全を確保しつつギリギリの破壊力を見せる。

終演後、タさんに「大向こうからの引用もあって驚いた」といわれる。大向こうがかける言葉があって、それは役者さんによっては嫌われるもので近年は自粛傾向にあるものだそうで、それを猿之助さん自らいっちゃってたそうです。そういうことやるのがこのひとらしいというか……。しれっと観客を見ているし、しれっと芸も見せる。おそろしいひとです。

歌舞伎における芸というものは、もはや個人のものではない。勿論、この役者でないと、という芸はその時代毎にある。違う時代の芸を実際に目にすることは出来ないし、客席がどうわいたか知ることも叶わない。芸の道なかばで亡くなった方もいるし、次世代に繋げぬまま消えていった芸もあるだろう。師匠を失くした若者は、よその家に芸を習いに行く。請われる側も真摯に稽古をつける。役者の方々が歌舞伎界は皆家族、といっているが、そうした心得がないと歌舞伎という伝統芸能は続かない。時代によって歌舞伎は変わる。時代が巡っても歌舞伎は残る。

観客は無責任で気まぐれ。熱をあげたら通いつめる。飽きたらすぐ忘れてしまう。家庭や金銭的な問題で劇場から足が遠のくこともある。観客が歌舞伎のことを忘れて日々のくらしを送っているときも、ふと歌舞伎を思い出して再び劇場へ足を運んだときも、興行は続いている。自分もここ数年あまり歌舞伎が観られなかった。久しぶりに足を運んだ歌舞伎座では、変わらず公演が打たれていた。そのことをとても有難いと思った。劇場はいつも扉を開けていてくれる。劇場に住まう彼らは常に近くを見て、遠くを見ている。

よだん。弥次喜多でとろろというと、勘九郎さん(当時)のアーサー王(映画版『真夜中の弥次さん喜多さん』)を思い出します。嬉々として「夜でもアーサー!」と叫んでいた勘九郎さん、YJKTはどうでしたかね。あなたと三津五郎さんが始めた八月納涼歌舞伎はこれからも続きます。