初日 最新 目次 MAIL HOME


I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME

2017年04月15日(土)
『エレクトラ』

『エレクトラ』@世田谷パブリックシアター

プロデュースと上演台本は笹部博司、演出は鵜山仁。笹部さんのホンには、古典を現代に上演する意義を見出す膂力の強さを感じることが多い。今回は母と娘の濃密なホームドラマとしても観ることが出来た。登場人物たちはよくしゃべる。しゃべりすぎる。そして納得いかないことが多い(笑)。そのあまりの理不尽さには「家族だからいいじゃん」という不文律があたりまえのこととして含まれているので、笑い乍らも2500年前からこれなんか……と正直おそろしい。そして古代ギリシャの神さまたちもよくしゃべる。しゃべりすぎる。少数の出演者が人間も神も演じることから、その人間くささ(そう、神々も人間くさいのだ)がより濃密になる。

ギリシャ悲劇を必要以上にこねくりまわさず、高尚なものとしてひたすら崇めたてもしない作劇。「殺してやりたい」「もっと苦しめ」「はやく殺して」といった台詞はストレートで平易、それだけ正直ということでもある。嘘がない、という意味では母親がこともだちをどれだけ愛していたかという言葉も同じなのだ。嘘はない。ときとともに変化するだけ。以前はそうだった、でも今は違う。人類は変わらず、ひとは変わるということか?

正直な感情のぶつけあいが、一幕ではあまりにもわかりやすすぎて些かぼんやり観てしまった。ところが二幕、あれだけ激しかった憎しみがジワジワとけてくる。その流れが心地よいほどだった。誤解がとけ、秘密があかされ、ときは戻らない。死んだひとは戻らない。神さまはひとが死んでもどうということはないので「まーあのときはああいうふうにけしかけちゃったけど仕方なかったんだヨー」とかいう。人間は達観するしかないですねという気分にさせられ、清々しい気分で劇場を出ることになりました。ぬぬぬ、してやられたという気持ちもある(笑)。

ギリシャ悲劇とかまえていたであろう観客(自分含)が、あまりに愚行を繰り返す人間と神に笑ってしまう。演者もそこを意識して大仰にふるまう。こういう演技をやらせると、アガメムノンの麿赤兒、クリュタイメストラの白石加代子は最強コンビ。こわいのにオモロい。白石さんが麿さんを「しつこい!」としかりつけるシーンは湧いたなあ。そしてこれほど若いエレクトラを観たのは初めてだったのだが、思えば彼女の年齢について考えたことが今迄なかった。高畑充希のエレクトラは瑞々しく、未来への希望を感じさせる人物像。唄う場面もありました。村上虹郎を舞台で観るのは二度目、堂々たるオレステス。この姉弟は観ていてヒヤヒヤさせられるが、それは役柄上のこと。なんとか彼らが幸せになってくれないかと、つい心がよってしまうこどもたち。そう、こどもたち、という意味でも、高畑さんと村上さんのキャスティングはよかった。ふたりがいつの日かクリュタイメストラとアガメムノンを演じるのを観たいなあと思った。

高畑さんと村上さんの前に、今回イピゲネイアを演じた中嶋朋子がクリュタイメストラを、アイギストスを演じた横田栄司がアガメムノンを演じる日がくるかもしれない。そういった意味では、役柄を継承して一生演じられる作品でもあるなあ。

スタッフワークが素晴らしく、演出、美術(乘峯雅寛)、照明(古宮俊昭)、音響(清水麻理子)と贅沢の極み。特に音響がすばらしく、劇場のいたるところから音が沸きあがるようだった。生演奏と効果音の移行にも違和感が全くなかった。あれはどうやっていたんだろう。その生演奏と音楽(作曲)は芳垣安洋、高良久美子。ドラマー/パーカッショニストとして近年劇伴も多くやっているコンビですが、今回は出色だったと思う。ステージ上で演奏しているのだけど、手もと迄はちゃんと見えず「どうやって音を出しているんだろう?」と思っていたプリペアドピアノの種明かしがツイートされていました。








演劇以外の現場でも聴く機会が多いふたりなので、プレイヤーとしても勝手に親しみを感じています。今回も聴けてよかったな。