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2016年06月16日(木)
1988、1992〜1994年の蜷川幸雄

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―ご自分の境地を、後の人に継いでほしいというか、どのくらい継げるだろう、でもどのくらい取りこぼすだろう、みたいなことって考えておられますか?
蜷川:継いでほしいとは思っていないです。ただ、こういう時代をこういうふうに生きた奴らがいたっていうことを分かってくれるといいなあとは思います。死に物狂いでものを作って、年老いていったジジイたちがいた、その空気だけは伝わらないかなあと思ってるんですけれど。
『蜷川幸雄の仕事』より)

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webで日記を書き始めてから15年程になる。その間蜷川さんの作品の感想も随分書いた。ほぼ欠かさず書いていたのではないだろうか。それ以前のものも当日パンフレットやメモが残っている。すっかり忘れていたと思っていたことも、それらを見ると、途端に舞台の光景、台詞のトーンが甦る。

再演も多かった。そのおかげで「間に合った」ものも多い。劇場があれば、蜷川さんの作品が観られる。劇場が変われば、姿を変えたものが観られる。そう思えた。心残りは『近松心中物語』を観られなかったこと。何度も再演されていたのに、自分のスケジュールや懐事情とタイミングが合わずここ迄きていた。来年頭にようやく、と思っていた。

舞台の記憶を引き出すためのツールとして置いていく。あくまでもツールなので、当日パンフレットはスキャンではなくスナップをアップする。本音を言えば、どなたかこういった当パン含めたものをまとめてくれればいいなあと思っている。河出書房新社が1969〜1988、1969〜2001の『Note』を出しているが、全てまとめたものがいずれ出るのではないかと期待している。

「記憶はなくならないの、引き出せないだけさ」。蜷川作品からの台詞ではないが、今、強い実感として響く。

※画像はクリックすると拡大します。元画像はtumblrにおいてあります。大きな画面でまとめて見たい方はこちらでどうぞ。

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■1988

1231『ハムレット』@スパイラルホール(映像)
NHK教育テレビでオンエアされたもの。記憶が間違っていなければ、生まれて初めて観た蜷川作品。家族が紅白歌合戦を観ているなかひとり別部屋で観ていた。何がきっかけでこれを観ようと思ったかは思い出せないが、「蜷川幸雄」が舞台作品等滅多に観ることが出来ない九州の片田舎に迄名が知れ渡っている、数少ない演出家だったことは確かだ。和装の役者が雛壇で演じるシェイクスピア。強烈だった。今思うとホレイシオを演じた松重豊をこのとき観ていたのだ。

■1992

0126『1992・待つ』@ベニサン・ピット
面白いやつ程出番が多い(?)短編オムニバス。転換を迅速に行うためか、小道具類が天井から吊るされている。大石継太が大車輪の活躍。「あっ、また(あいつだ)…!」という声が客席から漏れる程。松田かほりの可憐さと達者な演技も印象に残る。
初めて劇場へ足を運んで観た蜷川作品は、彼の代名詞でもあった大劇場のスペクタクルではなく、ニナガワカンパニー(当時はザ・ニナガワ・カンパニー)のホームでの公演。代名詞と言ってもそれは自分がそう思っていただけで、小劇場も蜷川さんの一面だった…いや、これこそが原点だったわけだ。意欲的で実験的、蜷川さんのパンクな気質をこの最初の観劇で浴びたことは、その後の自分の演劇嗜好を決定付けたと言っていい。所謂舞台がない、というかフリースペースでの演劇。敷地のあちこちに置かれたテレビモニターの画面、それらに一斉に光が灯ったときのインパクト。









ベニサン・ピットもこれが初体験。染色工場跡(もとはボイラー室だった)という異空間、暗転がまるっきりの暗闇になるところも魅力。すっかりこの劇場の虜になる。
『待つ』のときではないけど、1992年当時の写真が出てきたので張っておく。







1128『三人姉妹』@銀座セゾン劇場
トゥーゼンバフを演じる大石さん、ピアノ演奏も披露し「コーヒーを淹れて待っててほしい」という台詞も素敵でたいへん。袖でスタンバってるところも観られて格好いい素敵とうわ言のように言う。開場と同時に始まる、現実と地続きの演出の醍醐味を知る。高い天井、大きな窓、そこへ差し込む光。上へと向かう空間を美として示す手法、演出家の美的感覚を知る。
戸川純さんが追悼文でこのときのことを書かれている。素晴らしいテキスト。
・追悼・蜷川幸雄(後編)| ele-king

■1993

0120、0124、0130『1993・待つ』@ベニサン・ピット
入場料から200円を返すという開幕パフォーマンスにしてやられる。宇野イサムの書き下ろし短編の他、戯曲や小説等、さまざまなテキストから芝居を作り上げる。『メロンを買いに』を観られるなんて!「お広いですから〜」を岡田正の声で聴けるなんて!『ねじまき鳥クロニクル』で大川浩樹がモノローグとともに作った牛肉とピーマンの炒めもの、音も匂いも思い出せる。敷きつめられ、あるいは降り注ぐ白い砂の美しさ。






『メロンを買いに』について、松田かほりさんがブログに書かれている。今でも忘れられない、とても好きな作品だった。
・『手書きの台本』| kahorimのブログ

0304、0310、0314『春』@東京芸術劇場 小ホール1
『待つ』シリーズでも印象的だった宇野イサム作品を全集のようにして観る楽しさ。日常に潜む不思議な現象、生活に根差した心の機微。魅力的な作家。今はどうしてらっしゃるだろう。ニナカンだけでなく、オーディションで選ばれた多彩な出演者も魅力だった。今キャスト表見るとひいーとなります。桜の花びらの量にも驚いた記憶。







0523『魔女の宅急便』@青山劇場
チケットとってたのに行けなかった。

0812『I-KA-ZU-CHI 蜷川紅三太鼓』@スペース・ゼロ
蜷川さんは監修。宇崎竜童らが手掛けた楽曲を和太鼓で披露。ニナカンのメンバーが総出、さまざまな扮装で観客も巻き込み祝祭空間を創出。大石さんのダリひげ、松田さんのスリットドレスと、個人のアイディアが盛り込まれたと思われる衣裳やメイクも眼福。







0916『テンペスト』@リリアホール
大川浩樹のキャリバンがキュート、お茶目、とても愛すべき造形。キャリバンはかつて松重豊がやった役で、鯉のぼりを応用した衣装も松重さん本人のアイディアだと蜷川さんが言っていた。こうやって継承されていくのだなと思う。
蜷川さんの出身地である川口市のホールで観られたことも嬉しかった。リリアホールの舞台後ろの扉がラストで開く。蜷川さんが暮らした街が見える。夜だったので、舞台上で燃える篝火の向こうにマンションの灯が重なる。ふたつの世界が繋がったような美しさ。昼はマンション内の住人迄見えたそうだ。

1031『王女メディア』@新宿文化センター 大ホール
ウィーンとクレーンで去るメディアに衝撃を受ける。舞台写真で観てはいたものの、実際目にするとひゃーっとなる。客で来ていた大石さん大川さんがヒューヒューブラボーと騒いでいたとのこと(笑)、こういうところ、カンパニーだなと思う。

1218『血の婚礼』@銀座セゾン劇場
蜷川さんの美意識に身体が震える程感じ入ったのはこれが最初だった記憶。坂本龍一の「Parolibre」が井上正弘の音響により劇空間を満たし、暗転から浮かび上がる街の風景が後を追う。そして降り続く雨。死ぬ前の走馬灯に加えたい光景。今でもそう思っている。トランシーバー少年を演じた寺島しのぶ、白い衣装と白い肌、そして雨のなかでも通る声。今でも強く印象に残っている。

■1994

0423『ペール・ギュント』@銀座セゾン劇場
プロセニアムの最上部に“Trinitron”のロゴ。ゲームセンターに並ぶモニターのなかの世界でおこる冒険の物語が、観ている側の日常を侵食していく。振付にマシュー・ボーン、蜷川さん慧眼。

0610『夏の夜の夢』@ベニサン・ピット
ため息が出るような高い美意識は、同時に恐怖も生むのだと思い知らされる。蜷川さんの新しい定番になる予感(これが初演だった)。大石さんの寝姿が変(手を股に挟んで寝る)。蜷川作品初参加、白石加代子のすごみ。暗闇からバイクで登場、中華鍋を振り作った焼きそばをアテに酒盛りが始まる。漂う芳ばしさに、思わず生唾を飲み込む。五感を刺激する村人たちのインパクトたるや。京劇役者によるパックの浮世離れした美しさ。ベニサン・ピットの持つ空間の力。漆黒の暗闇は森の夜のようで、怖いと同時に落ち着く。『1993・待つ』で登場した砂が再び登場、枯山水にも、魔法をかける草の露にも姿を変える。
制作が定まらず、自主公演として行われた。観客も寄付という形で参加出来た。

1022(マチネ)『ゴドーを待ちながら 男ver.』@銀座セゾン劇場
1022(ソワレ)『ゴドーを待ちながら 女ver.』@銀座セゾン劇場
眠くならないゴドー待ち。設定も台詞も変えていないのに! 上演に際しての肝を掴む、演出家の読み解きの力。蜷川さんにしては音楽も少なかった。西村晃と江守徹の、軽妙なのにスリリングやりとりが刺激的。緑魔子のかわいらしさ、市原悦子の声は少年のようで少女のようで。無垢とチャームは憎めなさでもあるなと思う。