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2015年12月30日(水) ■ |
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『シルヴィ・ギエム ファイナル』 |
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『シルヴィ・ギエム ファイナル』@神奈川県民ホール 大ホール
あまり広くはない県民ホールのロビーはひとの熱気で溢れていて、同時にピリリとした空気に満ちていた。東京公演ではプログラムに入らなかった「ボレロ」が観られる、そしてツアー最終日。シルヴィ・ギエムがバレエのステージを降りる。
■一幕 フォーサイス振付「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」 東京バレエ団。 ----- 「TWO」 振付:ラッセル・マリファント 音楽:アンディ・カウトン 照明デザイン:マイケル・ハルズ 「イン・ザ・ミドル〜」終了後、暗闇のなかからギエムの腕が照明によって浮かび上がる。瞬時に空間が彼女によって掌握される。闇を切り裂くような腕、光のように鋭い脚の振り。研ぎ澄まされた人間の身体の美しさ。確固としたクラシックの基盤を持ち、革新家でもあったギエムは、気鋭の振付家をはじめ演出、音楽、美術と言ったあらゆるフィールドの才能を紹介するプロデューサーでもあった。ダンサーギエムを凝縮したような作品。
■二幕 キリアン振付「ドリーム・タイム」 東京バレエ団。東京公演でつい先日観たばかりだが、音楽も衣裳も美術もかなり好きな作品。ストーリーが感じられるステージ。
■三幕 「ボレロ」 振付:モーリス・ベジャール 音楽:モーリス・ラヴェル ひとつひとつの動作を噛み締めるような、別れを惜しむようなボレロ。そう見えた。あらゆることを逃さないように、こちらも息を詰めてステージを観ていた。 リズムダンサーたちの「ギエム姐さん見送ったるでえ!」とでも言うような気迫もすごかったな…カーテンコールでのスライドショウを見て、涙をグイっと腕でぬぐったギエムがまたザ・漢で。でも弾けるような笑顔で観客に手をふる彼女はまるで少女のようだった。バレエを始めたころからずっとあの笑顔だったのだろうな、と思わせるような、花が咲くような笑顔だった。 そう、最後ってことで東バがカーテンコールにいろいろサプライズを用意していた。しかし段取りも盛り沢山だったためか徐々に進行がグダグダになっていったところはご愛嬌。開演前に配られたペンライトは「係員が合図をしたら」出して振って、と指示されていたのだが、その注意書きが日本語のみだったせいか、外国人の一団が早くから振りはじめちゃって係員が慌てて飛んで来たり。東バのメンバーが一輪ずつ花を渡していたら延々時間が長くなってギエムが「ごめん、キリがないからあとは!」てな感じで手を合わせたり。その前にファンからの花束やプレゼントもすごくて、それらで円卓は埋め尽くされそうになっていた。もう泣き笑い。 でも、前述のスライドショウはよかった。ギエムが円卓に立って挨拶をしているとき、ステージ後方にスクリーンが現れた。一瞬の静寂、そして小さな声が客席からあがる。何? と言った様子でギエムが振りむく。そこには東バからの(そしてファンの思いも込められたと言える)ギエムへのメッセージが、フランス語と日本語で映し出された。感謝の意、そしてツアータイトルであった「ライフ・イン・プログレス」にちなみ、彼女の人生の第二章を祝福する内容だ。続いてギエムがこれ迄踊ったさまざまな作品の舞台写真が映し出される。拍手が自然にわき起こる。円卓から降りたギエムはスクリーンを見詰める。そして、腕で顔をぬぐったのだ。
彼女が踊る「ボレロ」を初めて観たのは2001年。2003年の『奇跡の響宴』ではダニエル・バレンホイム指揮・シカゴ交響楽団の生オケとともに、最後と言われた2005年で別れを惜しみ、ベジャール追悼のための2009年は再会出来た喜びとベジャールの不在を噛み締め、2011年の震災復興を祈ってギエム自身が発起人となった『HOPE JAPAN』では強く励まされた。しかしこのとき「ギエムが封印した『ボレロ』を再び踊るとき、それは不幸があったときなのか」と複雑な気持ちになったものだった。だから2014年に東京バレエ団創立50周年を祝して踊られる、と発表されたときはとても嬉しかった。しかし公演直前にバレエダンサーとしての引退を発表、当日のカーテンコールは騒然とした雰囲気だった。
いろいろな「ボレロ」を観ることが出来た。正確無比な動き、強靭な肉体、時折訪れるエモーショナルな瞬間と、ダンサーの内面を垣間見るような瞬間。バレエダンサーであるギエム、そしてひとりの人間であるギエム。さまざまな表情を、毎回違う形で感じることが出来た。
いつからか「やめるやめる詐欺」「何回復活するの?」と言った心ない声が聴かれるようになった。周囲がやめさせてくれなかったのかも知れない。再び踊らなければ、と彼女に思わせるような出来事が数年毎に起こったと言うこともある。『HOPE JAPAN』での「日本との絆を再確認するため」「日本を心から愛したベジャールの魂をつれてくるため」と言うコメントは忘れられない。
それでも私は彼女の「ボレロ」を観られることが嬉しかった。円卓に立ち、腕を伸ばし、脚をまっすぐに高くあげ、空中に留まるようなジャンプを観られる。100年にひとりのダンサーと言われた彼女の、人生の一部を見せてもらった気持ちになる。妥協など許されない15分強の時間は、どんなときも始まることが嬉しく、寂しく、この瞬間が終わらないでくれとしか思わなかった。感謝しかなかった。
あなたが踊る時代に生まれたことは本当に幸せなことでした。人生の第二幕が光に満ちたものであることを祈ります。おつかれさまでした、そして有難うございました。
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