I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME
|
|
2015年05月23日(土) ■ |
|
『わが星』 |
|
ままごと『わが星』@三鷹市芸術文化センター 星のホール
2009年に初演、2011年に再演。戯曲は出版後すぐ読み、映像も観た。やっと舞台で観られた。いつか青山円形劇場で観てみたいと言う願いは叶わなかった。でも、星のホール。初演と同じ場所、そしてこの名前のホールで観られたことが嬉しい。
マチネで鑑賞、いい天気。自然光が入る明るいロビーからホール内に入ると真っ暗、目が慣れる迄ちょっと時間がかかる。おそるおそる歩く。諸注意後キューを出し、最後に上演が終わったことを知らせる制作の方も出演者と言っていいように思う。
時報、ライム、ダンス、音楽。そして台詞。柴さん言うところの「観客の時間をコントロールできる演技の技術」を持つ役者たちの身体。「『ここからテンポが変わった』という“錯覚”を、俳優が生身で生み出すのが本来の演劇の力」。譜割されているかのような台詞や動きは、一見演者をコントロールする要素がとても多いように思える。しかし役者は、その声、その表情、その跳躍を持ってルールのある舞台上に自由を見出し、舞台から宇宙への物語を観客に感じさせてくれる。
少しずつ変換されていくやりとり、「ねこかよ」が「がんばれ」になる。決して同じではいられない。生まれた瞬間に、少しずつ死に近付いている。開演前不思議に思う、観客全員に配られているアポロチョコの意味が判るとき。女の子たちの揺れるドレス。夫と妻のそれぞれの視点。祖母を見送る家族の思い。物語は普遍的なもの。宇宙の現象はひとびとの歴史。モチーフと言語をいかようにも変えて、きっと世界中どこでも上演出来る。死は避けられない。しかしそのことに安堵を覚える。眠くなるわたし、見つめているあなた。ひとつひとつが二度とない、それでいて永遠に続くようなできごと。
おばあちゃんを男優の方が演じるのは共通のようで、これがまた味わい深いもの。部屋の明かりが消えるとき、命も消える。しかし、その光は遠い時間の果ての誰かが見ている。必ず。
-----
・わが星 * ままごと オフィシャルサイト ソースコード見るとちょっとくすっとするね。かわいい
-----
帰宅後webを開き、扇田昭彦さんの訃報を知る。この日『わが星』を観たことと切り離せないできごとになった。扇田さんの劇評を読むことをいつも楽しみにしていた。必要としていた。膨大な知識と記憶、平易な文体。その場でしか観られないものをその場にいないひとたちに伝える力。
何度劇場でお見掛けしただろう。大劇場でも、小劇場でも。数え切れない。ちいさな劇場(あるいは劇場とも言えないような小スペース)で毎週のように遭遇したことがあり、そのときはあ、と言う顔をお互いしたものだ。遭う度こちらがあまりにも凝視するものだから、憶えられてしまったのかも知れない。きょとんとしたあの大きな目は今でも思い出せる。そんな体験をした芝居好きは、きっと沢山いる。twitterに流れてくるいくつものお悔やみの言葉を読んだが、現場主義、明晰、公平な文章、温厚、紳士と言った言葉が並ぶ。そして何より、上演される作品、その舞台をつくりあげたひとたちへの敬意があったと。批判であっても、決して気品を失わなかった。
作品への敬意を失わず、揚げ足をとらず、悪意を込めない。劇評を読んだあとに作品を目にするひとたちに対して、先入観を持たせない。自分にとって、観た舞台の感想を書くことはただの趣味だ。それでも扇田さんの書くものは指針だった。
これから扇田さんはどう書くのかな、と思えなくなるのが悲しい。観劇の航海図とも言えるテキストの数々に感謝します。
・扇田昭彦さん | ___evidence*___薛珠麗's BLOG ・松井今朝子ホームページ: 訃報 ・さようなら扇田昭彦さん - Blog of SAKATE ・TheaterGoer Directoy 長谷部浩の劇評【追悼】扇田昭彦、現代演劇の良心 ・web dorama de songha
・昭彦お父さん、ジィジ: 〆てがみ座俳優でいりーめーる
(20150527追記) ・扇田さんのこと 『初日通信』の小森収さんによるテキスト。扇田さんと小森さんの間でこんなやりとりがあったと24年経って知る。スズカツさん読んでるかな
(20150530追記) ・(演出家の独り言 蜷川幸雄)僕より先に逝ってしまうなんて:朝日新聞デジタル 蜷川さんが扇田さんにケンカを売ることは時折あって、それは公演が続いている自分のカンパニー(役者、スタッフ)を守るためでもあった。今年の一月、扇田さんの書いた『ハムレット』の劇評に対し、蜷川さんはこう応えた。あのあとふたりは会って話をしたのだろうか。今となっては本人たちしか知らなくてもいいことだし、第三者にはわからなくていいことかも知れない。いろんな思いが込められている、このエッセイの言葉だけで充分に思えた
|
|