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2013年10月27日(日)
飴屋法水『302号室より』

飴屋法水『302号室より』@WATARI-UM

今週図らずも飴屋法水ウィーク。まずは寺山修司展『ノック』関連イヴェント。

302号室とは、寺山がネフローゼで入院していた新宿の病室。ワタリウム二階の展示フロアにはベッドが置かれている。会期中である『ノック』展示物は、壁にプリントされているものはそのまま、ケースに入っているものは隅に移動されている。演技エリアはフロアと地続き。椅子等はなく、観客は床にそのまま座る。完売とアナウンスされていて、確認出来た整理番号は80番台迄だった(整理番号が記されたパスが配布され、シール状になっているそれを身体に張って入場していた)が、実際はどのくらい入れたのだろう。一度座ると身動き出来ない密集ぶり。ここから開演、と言うはっきりとした境目はなかった。全員が入場してから飴屋さんが登場する迄30分くらいはあっただろうか。微細ないろいろな音が流れている。いつ始まるのだろう、もう始まっているのだろうか、と思い乍ら、その小さな生活音、自然音、音楽を静かに聴き入る。音響はzAkさんだった。

やがて飴屋さんが登場。ゆっくりと歩き、またはベッドに座り、カットアップした寺山作品の言葉を呟くように語る。何も見ないときもあれば、プリントアウトしてクリップでまとめた紙束から読み上げるところもある。読み上げる部分には蛍光ペンでマークがしてあった。キーワードは『懐かしの我が家』からの引用「僕は不完全な死体として生まれ 何十年かかって 完全な死体となるのである」。実際この言葉は、演技エリアのすぐ後ろの壁側面にプリントされていたものだった。そのうちハーネスを装着し始める。うまく装着出来ず、コロスケさんが手伝おうとするとその手を静かに払いのける。「難しい…」とぼそっと呟き(ちょっと和んだ)しばらくカチャカチャやっている。病室を設定しているであろう場所でハーネス、最初は拘束具を意味するのだろうかと思った。ようやく装着を終えるが、その姿は多少歪である。吹き抜けになっているワタリウムのいちばん上から吊るされたフックをウィンチに引っ掻け、宙づりになる。かなりの高さだ。モーター音とともに浮き上がって行く身体。その姿は、1985年の日航機墜落事故、御巣鷹山の光景を連想させた。ヘリによって救出される乗客。このイメージも共有出来るひとはこれから減る一方なのだろうが、帰宅後検索すると、同じようなイメージを抱いたひとのツイートがいくらか見付かった。

ウィンチのコントローラーは自ら操作していたが、それでもワイアーがねじれたりくるくる回ったりして、自分の身体をコントロールすることは出来ない。降下の際、ベッドの手すりや床に頭を打ち付けることもある。鈍く大きな音をたて、床に頭がぶつかる。他の作品…いや、どの作品でもか、このひとは防御と言う姿勢をとらない。それはパフォーマンス中起こる不測の事態に対して受け身でいる、と決めているからかも知れないが、それにしてもそれがあまりに自然で怖くなる。反射で危険から身を避ける、と言う動きすら見られないのだ。それは生きている人間としては不自然だ。思うように動かない身体を、何度も上下するワイアーが操っている。それは生体のマリオネットのように見える。生体ではあるが自分の意志では動けない。

上手側の壁にいろんなものが映写されていたが、それは座った位置からはよく見えなかった。振り向くにもひと苦労なくらいフロアは密集していた。下手側のイントレ上にスタッフがいたようで、飴屋さんが「○○さん、映してください」とパフォーマンス中と同じ声のトーンで指示を出す。前述のいつからだったか判らない開演や、「難しい…」と言う呟きといい、どこからどこ迄が台詞なのか、演技?なのか、混乱する。

寺山が入院し、退院する迄の時間。ワイアーの昇降とともに飴屋さんが繰り返す「おーい、」「君は人間か?」と言う言葉。読み上げられる入院中の書簡、詩、文献。そこへ谷川俊太郎と交わしたビデオレターの音声が加わる。所持品を、衣服を全て捨て、「私は誰でしょう」と問う谷川。「たぶん、ぽくは青森県人である」「たぶん、ぽくは天井桟敷の演出家である」と応える寺山。まるで三人が対話しているかのように感じる。そのうちひとりは完全な死体、もうひとり(ふたり?)は不完全な死体。

「僕は、ここを出たら、」「……演劇をやろうと思う」。そう言って、飴屋さんは退場していきそのまま戻らなかった。それは寺山の言葉ではあるが、飴屋さんの言葉にも聴こえた。鳥肌がたった。

不安定な姿勢のまま身動き出来ない二時間弱で、かなり身体的には過酷だった。このひとの作品はいつものんびりとは観られないが、飴屋さんが登場する迄の長い待ち時間は演出ではなくハプニングだったように思う。実のところあの待ち時間がいちばんキツかった。裏から慌ただしい様子が伝わってきていたし、パフォーマンスエリア上に小道具が運び込まれたのも随分時間が経ってからだった。その後も音響チェック等が続いていたが、それに関しての説明は皆無だった。それらを「これも作品の一部?」と思わせてしまうあたり寺山マジックかも知れない(…)が、火災や事故の際「逃げろって言われないからまだ大丈夫なんだよな」と留まって逃げ遅れるタイプの人間なので、正直危機感はあった(苦笑)。そう言った会場、制作側のアテンドには疑問が残った。あの身体的苦痛も含めて体感する作品だったと言われてみればそうかも知れないが(御されやすい)。上演中ずっと手話で話しているひとが近くにいて、声を発してはいないのに「うるさい」と感じたのも初めての経験で(呼気やタンギングの音は多少したが、その音ではなく「手話」がうるさいと思ったのだ)これもなかなか興味深かった。

飴屋さんと言うと状況劇場のイメージがあるので寺山?と思いはしたが(特にリアルタイムでは知らないので)、このあたりは互いに影響し合ってきているのだよなあと改めて思った。そして先程ふと思い出したが、飴屋さんは小竹信節さんの作品に参加していたな(『ミュンヒハウゼン男爵の大冒険』)。

千駄ヶ谷迄歩いて帰ろうとしたら道に迷う。暗いとわからなくなるね…全身ギシギシで起き、ルー・リードの訃報を知る。