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2013年06月23日(日) ■ |
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『断色』 |
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『断色』@青山円形劇場
おにぎりの『斷食』は逃しています。思えば『斷食』のチラシを初めて観たとき、「いのうえさんが座・高円寺!?」と驚いたものでした。いのうえさんと言うと、大劇場でのダイナミックな演出を手掛けるイメージがすっかりついていたもので。そして『断色』、青山円形劇場でいのうえさんの演出作品を観るのは1994年の『スサノオ〜武流転生』以来…て今書いてヒーとなった。
どのくらい改訂されたのかは判りませんが、「おでぶちゃんたちが断食道場に行く」と言う設定はなくなっており、ハードな舞台に仕上がっていました。90年代前半の小劇場の作品は、世界の終末を扱ったSFが多かったと記憶しています。先日観たイキウメの『獣の柱』といい今作といい、そういう作品がまた増えているように感じます。これは昨今の時代背景、社会情勢によるものだろうか。イキウメはもともとSF世界を描く作品が多いところだし、自分が観てきているものがたまたまそうなのかも知れません。なんとなく懐かしい気持ちになると同時に、見終わったあとの実感と言うか、手応えは当時よりも重いものになりました。
緊張感溢れる110分。性的描写も含めエグい内容です。肉体を、命を人間が扱うことについて、母と子の関係、男と女の関係。人間の深部に巣食う欲求は本能なのか、それとも環境によるものか。それらはどういった形で芽吹くのか。役者にとって視線から逃れる場所がない円形劇場に、三人きりの出演者。壁面にぐるりと映像を配し、登場人物が置かれている状況と心理描写を反映させる。音響も万全。観客の理解に死角を作らぬよう、細部迄丁寧につくられた舞台です。
麻生久美子さんが素晴らしかった!主人公・保の母であり、そのクローンであり、女であり。透けるような白い肌、鈴を転がすような声。いやもう保じゃなくてもぽわーとなりますね。彼女の生活感のなさがクローン役にドンピシャ。そんな美しい女性があんなことされてこんなことされてあんなこと言わされてこんなこと言わされる訳ですよ、いやーエグいわー。ここらへんちょっと「女性(しかも美人)にこんなこと言わせてみたい、やらせてみたい」的な男の欲望も感じましたね。しかしそこは女優です。映像でもかなりエグい役を涼しい顔で演じてらっしゃる麻生さんですからね…やっぱりすごい。女の欲望を抱えた母親、そしてクローン。感情の幅が拡がり、それを表現する術を獲得していき、保に恋心を抱いたクローンの行く末はとても悲しいものでした。
明るく無邪気なようでいて、端々にひっかかる言動が顔を出す。フラジャイルな保を演じたのは堤さん。その危うさは何なのか、徐々に明らかにしていく見せ方が巧い…そしてまた悲しい。彼を「壊れている」「劣化している」と判断することも悲しいな。前回舞台で観たのがくすりとも笑わない『今ひとたびの修羅』の侠客役だったので、そのギャップにもビビる。背景が見えない不思議な役者さんでもあるので、ハマリ役でした。そして哲司さん。きたー黒哲司!よかった…いや役柄じゃなくて、こういう役を体現する実力が素晴らしいと言うことですよ。ってわざわざ言い訳したくなるくらい人非人。やだわー。素敵だわー。いやだから役がでなく(くりかえし)。そしてシンプルなことですが、出演者三人とも台詞が明瞭でよく通る。生物学的な用語をはじめとするちょっと聞き慣れない言葉が、日常生活で使われている言葉のように自然な会話として聞き取れたこともよかったです。
青木さんのホンらしく、これといった解決策を提示せずに舞台は終わります。観客は問題を持ち帰り、考え続ける。それだけ刺さるものを役者たちは見せてくれました。ラストシーンの保の叫びは、今も耳の奥に残っているかのよう。青木さん、文化庁の芸術家派遣制度でロンドンに留学中なんですよね。この舞台生で観られないのか…勿体ない!
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最初に「懐かしい気持ちになりつつ重い手応え」と書いたのは、開演前、当日パンフレットに掲載されていた、今作のエグゼクティブプロデューサーである細川展裕さんのごあいさつを読んだことも関係しています。『三年目の初夏に、亡き母に捧げる舞台を』。
細川展裕さん。第三舞台を観ていたひとの間では「ねちねち細川」の名でよく知られていた(笑・鴻上さんのエッセイで、そう呼ばれていたのです)プロデューサー。その後ヴィレッヂの代表取締役に就任し、劇団☆新感線の大規模公演を次々と仕掛け、舞台中継の発展形としてE!oshibaiとゲキ×シネを生み出しました。演劇制作のひとつのスタイルを築いたとも言える人物です。自身が手掛けた作品が上演されている劇場のロビーに、必ずと言っていい程立っている。この日も開演前はこどもの城入口、終演後は円形劇場ロビーに、いつもと同じようにスーツ姿で立っていました。白髪が随分増えた。観客の見えるところにほぼ毎回いらっしゃるところ、鴻上さんと同じ「観客の声を直接聞く。それが絶賛であっても、苦言であっても」との姿勢だったのだろうと勝手に思っています。
ごあいさつには、この作品への思い入れと、ご両親のことが書かれていました。そして今作を最後に演劇から距離を置くと言うことも。『断色』は個人の物語でもありました。細川さんがこれだけ個人的なことを作品に持ち込むのは、最初で最後になるのでしょう。ご自身も黒子として舞台に立ち、転換作業もしているそうです。
倍々で増える動員と、芝居が伝わる劇場の規模との間で悩み続けた第三舞台、同じように膨らむ一方の観客を大劇場に呼び込んだ新感線。同じ時代に生まれ、全く違う方向へ進んだふたつの劇団の裏方であり、顔の見えるプロデューサーでもありました。数々の試行錯誤があったと思います。彼が手掛けた作品にどれだけ笑い、泣き、楽しませてもらったか。たくさんの名作を有難うございました。淋しいです。さびしーので茶化しておくと、普段はさびしいを寂しいかひらがなで書きますが、劇中淋病って台詞が出てきたので淋しいにしました。
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おまけ。
・それにしてもたもつと言うと、どーしてもこれを思い出してしまう→『ヤマアラシとその他の変種』
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