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2011年06月28日(火) ■ |
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『クラウド』2回目 |
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『クラウド』@青山円形劇場
タイトルにはcloud、crowdな意味も含まれるようなので、以後カタカナ表記にします。本日Gブロック。
さて2回目。集中して観れば観る程、自分の頭のなかの情報在庫に結びつけようとする作業も盛んになります。気が散ってるのとは違うんだよね…目のまえで起こっていることは澄み切ったような状態で映って、頭にすいすい入ってくる。で、そうなればそうなる程自分との共通点を見付けるべく、普段忘れていることが意識の表層に浮かんでくる。
と言う訳で、この日のおぼえがきはちょー個人的な自分用メモなところが多分にあるので、読んでる方は何が何やらかもしれません、すごい他人にとってはどうでもいいことを書いてます、すみません。先におことわり。ネタバレあります。
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・パンフレットの「diagnosis」解読に夢中、しかし降参。オガワな気分で「誰かいるー!?」とツイートしヒントをいただく。変換出来たときは鳥肌たった…キー打つ手が震えた……webって素晴らしい!いやはや有難うございました
・ディック的なものを多々感じつつ(いやディック、網羅はしていないですけど)初日観ていたとき、オガワの「誰かいる?」のくだりはジェイムズ・ティプトリー・Jr. の「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」(『老いたる霊長類の星への賛歌』収録)を思い出すなあと思った。そしたら台詞に「ヒューストン」て単語出てくるのに今日気が付いたよ…ひぃ
・「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」を連想する程オガワはひとりぼっちに見えた。あの誰もいない感じ。スマパンの「1979」も思い出したなー。“Forgotten and absorbed into the earth below / The street heats the urgency of now / As you see there's no one around”
・あービリー・コーガンにはオガワのにおいがするYo!だれかー!だれかビリ公にエンドウみたいなひとをおくってやってー!(それはどうか)
・そういえばビリ公はカート・コバーンと同じ魚座の左利きであった。今回のメンバー、左利きがふたりいますね…うえーん
・オガワはエンドウに「僕のようになっちゃいけない」って言うんだよね……
・実はもう、70歳になったオガワも見たいのだ(ことだまことだま!言えば叶う!)
・ところで浩介さん、まつげバッサバサですやん。それが判るくらいの距離ですよどひー。今回メガネ外しているので美形なのがよくわかります
・それにしても浩介さんはトモロヲさんの言葉をよく聴いていて、細かい言い回しもよく拾う。ナイスナイス
・今日は隣席の方がクラウドちゃん(勝手に命名)にとてもなつかれてて、何度も何度も舞台につつき戻してあげてたのに寄ってこられてた。かわいい。スズカツさんも回収にいらっしゃいました(笑)
・で、そのクラウドちゃん。初日のopとは回収する数が違った。と言うか、あのopはリズムとテンポ、スピードがキモなので、全部回収するために身体がモタッちゃダメなんだ。だから回収しきれなくてもOKで、残ったものはその後のシーンを使ってヨタロウさんがつれてくんだね
・粟根さんの日替わりtwitterネタ、ウチにもRTされてきたやつだった(笑)
・粟根さんの日替わり女心が判らないネタ(初日はミニスカート)、隣席のひとが正にそのデカいリングのピアスだったのでブルブルした。や、殺られる!
・門人くんの日替わりジュースネタ(初日は野菜生活100・紫の野菜)、今日はウコンの力だった
・「いちばんの若手」なんで門人くんのかわいがられっぷりが日々エスカレートしているようです。本人も判ってるから見事に応えますねー、この若者の舞台においての身体能力は見応えある!今日は浩介さんとこ迄行って、浩介さんも参加してた(笑)
・そして門人くんと組むシーンが多いことで鮮やかに浮かび上がる粟根さんの“舞台で見せる身体=動き”の優雅さ。歳をとるって素敵なことねとしみじみ
・自分の人生を改竄することについて。昇華と言ってもいい。ある劇作家のことを思い出した。ブログから奥さんの描写が消えた数ヶ月後に彼が発表した作品は、妻を理不尽に殺された男が、復讐をするべく犯人を探し出すと言うものだった。主人公は劇作家本人が演じていた
・ブログのことがひっかかっていた。今回のストーリーがフィクションであることをひたすら祈った。舞台の出来が素晴らしかっただけに尚更だった。鬼気迫るもので、痛く、腹の据わった作品だった。そして主人公を演じるのは、劇作家本人しかいないとも思えた程の熱演…いや、まるでとりつかれたかのような演技だった。演技とは思えないくらいの
・彼が離婚したと聴いたのはそのあとだ。奥さんが亡くなっていなかったことに正直ホッとしたが、ああ書かずにはいられなかった彼の心境を思い、観劇してから随分経っていたと言うのに涙が出た。劇中の夫婦は仲睦まじく、ときどきケンカをし、日々を穏やかに暮らす幸せにあふれたふたりだったのだ
・忘れることは出来ないことと、どうつきあっていくか。これはこれでありなのかも知れないと思った。再演はないだろう作品になってしまったが、本音を言うとまた観たい。今でも忘れられない作品
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と、まあこんなことをつらつら書いてweb上に放り投げている一方で、普段からスズカツさんスズカツさんと言ってまわっている私を可哀相に思ってか、友人が『クラウド』の感想を聴かせてくれたり、昔からザズゥシアターを観ている方がメールをくれたりします。それは私の記憶のなかにだけ残る。
本人の与り知らないところで『クラウド』についての言葉が交わされている。それこそ雲のように、言葉たちはその場でふわふわと消えていく。クラウドにもサーバにも残らない言葉たち、ひとの思い。発表された作品は、観たひとの数だけヴァージョンがある。残したいから必死で音韻をweb上に投げる。「誰かいない?」でもそれも、必ずいつか消えてしまう。それでいいと思う。
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