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2011年03月12日(土)
『国民の映画』

『国民の映画』@PARCO劇場

『三谷幸喜生誕50周年スペシャル企画三谷幸喜大感謝祭』のラインナップが発表されたとき、この作品のタイトルを見て「なんだか楽しそうなタイトルだな、どんなコメディになるのかな」と思っていた。とんでもなかった、これはヒトラー内閣における宣伝大臣ゲッベルスが構想する、ナチ政権下のドイツ人のための“国民の映画”にまつわるストーリーだったのだ。

普通の映画好きなおじさんに見えるゲッベルス。小日向さんが演じることでその人物像はますます気のいい“普通のひと”に見える。段田さん演じるヒムラーも、園芸と虫の好きな普通のひと、白井さん演じるゲーリングも、気前のいい“普通のひと”。架空の人物はふたりだけ、実在した登場人物たちは皆“普通のひと”だ。ちょっとずるい、ちょっとお調子もの、ちょっとひねくれもの。彼らの人物紹介に一幕60分を使う。

二幕の105分で、そんな普通のひとたちが、集団となって流されて行くさまを見せる。そして集団に流されなかったひとも見せる。流された、あるいは流されなかった人物たちの行く末は、芝居を観るものだけが知ることになる。今舞台上で繰り広げられていることがどれだけ“普通に”狂った方向へ向かっているか、その結果どうなったか。知っているのは未来だけだ。その未来を観客は知っている。

ナチス、ヒトラーと言う単語は語られない。ユダヤ、は終盤噴出する。無意識下の差別は罪深く、最も恐ろしい台詞を口にするのは気だてのいいゲッベルスの妻だと言うのにも背筋が寒くなる。品良く語られたその台詞は、今でも耳にこびりついている。

三谷さんはコメディ作家としての自負が勿論ある筈で、しかし今回『三谷幸喜50周年』ラインナップ中唯一自分発信であったこの作品を書くに当たって、技巧としてのコメディを封じている。無論“普通のひと”が生真面目に立ち回ることによって滲み出る滑稽さはある。しかし底に流れるテーマは重く厳しい。そこで改めて気付く、三谷さんはいつもそういう重く厳しいテーマを作品の中に潜ませていた。今回それが、技巧としてのコメディを取り払うことで、よりハッキリと水面に浮かんできた。テーマは何もない、ただ笑って帰って貰うのがコメディとしていちばんだと三谷さんは常日頃言っているが、やっぱりそれだけではないのだ。それを指摘する程野暮なことはないと思うが、今回の作品は敢えてそこを考えずにはいられないものだった。三谷さんはやっぱり厳しいもの書きだ。その思いは、登場人物のエーリヒ・ケストナーとエミール・ヤニングスに集約されていたように感じた。もの書きは書いたものを発表出来なければ意味がない、どんなに惨めでも映画に関わっていたい。最後に彼らが選んだ道は……そんなふたり。

集団の怖さ、ひとりの才能ある人物に心酔してしまう構造、それでも流されなかったひとたち。そして命を落とすひとたち。苗字も一度しか台詞に出て来ない架空の人物を演じた小林さんのモノローグは、その物静かな佇まいとともに、心に焼き付いている。映画はひとに夢を見せる、映画はひとを魅了する。それをプロパガンダに使う時代があった、国があった。いや、今もどこかにそれはある。その渦中に放り込まれていたと気付いたとき、あなたはどういう行動をとりますか。未来を知っている観客に、この作品はそう呼びかける。

現在を映す鑑である演劇ですが、特に今それを痛感しています。そしてそれは珍しいことではないことも。しかし先月観た『南へ』とともに、この作品は恐ろしい程に今を映し出している。情報の提供、選択、集団心理、個人の力と非力。今しかない符合に戦慄し乍ら、それでもその先はあると示されたこの二作品を観られたことに感謝します。

あとこの作品、宣美が秀逸でした。優れたデザイン力を持ったナチスとあの時代。その不穏さを見事に表現していました。

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前日の大地震の影響で、公演がどうなるかと当日朝迄情報チェックをしていました。PARCO劇場は上演することを発表しました。ソワレだったけど電車が混みそうだし、家にいるとついついテレビを観て電気を消費しそうだし、家にいても劇場にいても地震がきたときの危険度は一緒のように思ったので(これは個人の判断ですよ)、昼過ぎに出発。

山手線は激混み。帰宅するひとを優先した方がいいでしょうし、まあ歩けない距離ではないので代々木から歩きました。途中休憩で入ったカフェ(原宿の奥の方)の店員さんは、自転車で荻窪迄帰ったと明るく話してくれました。こういうときお店が開いているとホッとするし、店員さんの笑顔にもホッとしました。

上演前に三谷さんの挨拶がありました。決して新しいとは言えない建物の9階。以前中越地震当日に同じPARCO劇場で『夜叉ケ池』を観たのですが、本当によく揺れたし怖かったことを憶えています。そんな観客をリラックスさせるべく笑いも交え、しかし真摯な話をしてくださいました。文字だけでニュアンスが伝わるか難しいですが箇条書きします。

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こんなときに芝居を観に来てくれて感謝します、悩みましたが上演することを選択しました。ひとりでもお客さんが来るのなら幕を開ける、と言う劇場の判断です。
来られない方も沢山いらっしゃるようで空席も目立ちますね。マチネもそうでした。その分リラックスしたのか、役者はとてもいい演技を見せてくれました(観客笑)、ソワレもきっとそうなると思います。
お芝居を観て、少しの時間だけでも不安を忘れて楽しんでもらえたらと思います。……そういう時に限って、あまり笑えないテーマの芝居を書いてしまったのですが……(観客笑)
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(追記:その後整った(微笑)全文がこちらにアップされています。やっぱりこの日は舞台も客席もテンパッてましたね、そりゃ当然。本当はこう言いたかったんですよね!現在も三谷さんは上演前のご挨拶を続けているようです。・PARCO劇場公式ブログ『震災後の「国民の映画」上演にあたり、三谷幸喜さんからのご挨拶』

入りは八割と言ったところか。余震も何度かありました。出演者の演技も決してベストだったとは言い難い。しかしマシーンではない、人間が演じることについて強く考えさせられました。この状態の役者が観られたのはきっとこの日だけなのです。そして、三谷さんが言った通り本当に、私は少しの間だけ不安を忘れて芝居に引き込まれたし、グラブさんと新妻さんの歌に魅了され(素晴らしかった)、笑顔で拍手をしました。カーテンコール迄しっかり観て、作品について考える心の余裕を持ち家に帰ることが出来ました。観に行けたことに感謝します。

こうしてこの日の公演は行われましたが、PARCO劇場は、来られなかった方のチケットの払い戻しを発表しています。
・「国民の映画」3/12公演のチケット払戻しについてのご案内

■ちなみに
地震当日は徒歩帰宅。家のなかは結構なことになっていました。棚からiMac(初代おにぎり型、ボンダイブルーのやつ)が転落していたよ。これが落ちるってどんだけ…不思議なことに棚は倒れていなかった。下に置いてあったCD山を直撃したようで、何枚かは粉々に。データ取り込んでてよかった。このiMacは既に引退させており、つい数日前にどこに引き取ってもらおうかねえなんて業者を教えてもらったりしていたところだったので、拗ねちゃったのかなと思ったりした…ご、ごめん……。
そして食器棚は無事であった。ビバ引き戸。しかし細工が細かいお気に入りの小皿は欠けてしまっていた。中でぶつかりあったんだね……あとはまあ時計が落ちてたりとか本の山が崩れてたりとか。掃除掃除。
以降会社へ徒歩通勤が続いたりなんやらありますが、この程度問題ないぜ!と思うことにする。これは間違いなく長期戦になる、やれることはやり、自分の力が及ばないことにはただただ祈る。芝居を観られなかったら仕方ないと思い、観られたらただただ感謝する。生きていることに感謝する

街が復興しますように、弱っているひとが元気になりますように。亡くなった方々が、安らかに休めますように。