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2011年02月12日(土)
『金閣寺 ―The Temple of the Golden Pavilion』

『金閣寺 ―The Temple of the Golden Pavilion』@神奈川芸術劇場 ホール

セルジュ・ラモットの原作翻案を、伊藤ちひろさんが宮本亜門さんとのディスカッションによりブラッシュアップした台本で上演。原作をわかりやすく追ってい乍ら、若者三人の物語としての焦点も絞られていました。吃音の溝口、光のように眩い心身ともに健康な鶴川、陰の魅力を持つ内翻足の柏木。しかし光にはやはり陰があり、陰はその力を持って輝く。どちらにも寄れない溝口は、ふたりとは違うと言うことを行動で示す。三人を演じるのは森田剛、大東俊介、高岡蒼甫。当て書きか!と言うくらいのハマりよう。

森田くんはひとの目を惹き付けるアイドルとしての星を背徳へのベクトルとして輝かせる。このひと『IZO』も『血は立ったまま眠っている』もそうだったけど、命を懸けて信じたひとやものごとに裏切られる孤独な寂しい少年と言う姿が似合う。惑いの経過を少年が青年に変貌する姿と重ね合わせられる、ある種年齢不詳な魅力も持っている。大東くんは絵に描いた好青年の印象を打ち出しつつ、他の道を歩みようがない人生や、溝口との関係性について思いを巡らす場面でほの暗さを随所に滲ませる。高岡くんは身体の障害と引き換えに、悪を理路整然とした言葉に変換する弁を手に入れ暗躍する人物像を魅力的に演じる。

それにしても昨年末観た『M』でも思ったけど、三島の文学世界を可視化すると如何にトンデモないものになるかと言うのがよく解った。文字だと三島のその、言葉で描写出来ないものなどないのではないかと言う技量で何もかも美しく表現されているけど、実際に具象化すると笑える場面も多い。そこらへんの突っ込みどころも押し出しが強く、見所になっています。亜門さんもそこのところ覚悟のうえで、明確に提示したようです。『M』の文脈からしても鶴川=聖セバスチャンの象徴だし(その彼が実は…と言うところがまた三島の願望成就にぴったり)、男性同士のエロティシズムは避けようがない。そして女性の扱いが酷いわ〜、流石三島(笑)。溝口の憧憬と憎悪の対象でもある複数の女性たちを、ひとりの女優が演じる仕掛けもよかったな。中越典子さん。ヤな女だったり母のようだったりと様々な女性を演じ分けていました。上手い。

演出も挑戦的で、やりたいことをとことん詰め込みましたと言う感じ。あとこれは亜門さんがどこ迄意図したか判らないけど、新しい劇場のプレゼンテーションにも見えました。天井の高さや奥行き、裸舞台の空間をまるっと見せる。今後この劇場をどう使うか、観に来た演出家のディレクション心をくすぐるような仕掛けをも感じました。意識してやっていたとしたらすごいサービス精神。寺山修司を思わせるアングラ的な表現がありますが、方法論の交通整理はしっかり出来ているので、観た印象はスッキリしています。そう要素はてんこもりなのにスッキリ見えるってのは見事だわ…難解と思われがちな三島作品の見せ方としてすごいなあと思いました。思えば昨年森田くんは寺山修司作品に出たんだったなー。

学校の技術室のようなセットで、机や椅子を駆使して場を作る。黒板や天井近くの空間に映像を照らし、移動や心理描写を反映させる。寺の畳や、溝口と鶴川が腰を下ろす白詰草が咲く野原、金閣寺を包む炎といった照明も美しかった。朗読部分や登場人物のモノローグにはマイクを使用し、該当人物ではない出演者がそれを語る部分もある。代わり映えしない日常の繰り返しは、リズミカルな音楽(福岡ユタカさん!)に載せた小野寺修二さんによる振付でシステム化されている。場面転換は主に大駱駝艦の面々が行い、ときにはその身体をも装置として提供する。階段と化した舞踏家たちの上を溝口と鶴川が踏みしめてあがっていく場面等で、身体が作り上げる舞台と言うものを意識させる。

そして何にどひゃーとなったかって、山川冬樹さんが金閣寺だったことですよ。いやもうね…観る前にTwitterで何の役かを知ってしまい(ネタバレ回避してたのに、まさかご本人によるRTで知るとは・泣)覚悟はしていたものの、やはりすごいインパクト。キャストスタッフ発表になった時は「演奏」とクレジットされていたのに、途中から「出演」になったのでどういうことだろうと思ってたけど……。役名は鳳凰、金閣寺のてっぺんにいるあの鳥。初めて実物の金閣寺を目にした溝口に「それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉がとまっているようにしか見えなかった。」とこきおろされるその“カラス”は、溝口の葛藤の歩みとともにその存在感を増していき、前へ踏み出そうとする彼の前に立ちはだかります。溝口が女性と交わろうとするとボエェェェェェエ、なんか新しいこと始めようとするとボエェェェェェエ。マイクで増幅されたホーメイとノイズがもうなんてえの、孫悟空のあれ!頭についてて三蔵法師がお経読むとギリギリギリって絞まる輪っか(今検索して緊箍児と言う名前だと知る)みたいだよ!もう溝口でなくとも勘弁してくださいと泣きたくなる……森田くんのファンからすれば「やめて金閣さん!これ以上溝口を苦しめないで!」と思ってしまったのではないだろうか。ああっすごく感動したのになんでこんな感想に。ホントすごい声なんだよ!

そんな金閣さんと溝口の対決とも言えるクライマックスはもー、弾丸のような山川さんのホーメイと絶叫する森田くんの声のガチンコ。直接身体をぶつからせている訳ではないのに接近戦、肉弾戦のように感じられる、破滅の痛みと甘さ、美しさが激烈に伝わるシーンでこっちの首もガチガチです。このシーン時間にするとそんなに長くない筈なんだけど、とにかく濃くて随分長く感じた…それこそ金閣寺に火を放った溝口がその場から離れ左大文字山にのぼり、その火と煙を眺めやる迄…そのくらいの時間経過に感じた。もっと観ていたいと感じた。終わるのが惜しかった。それを引き受け静かに最後の台詞を語る森田くんの鎮まりっぷりもすごかったな…本当に火が消えていくような……「生きよう」と言っているのに、達成感に充ちたものではなく抜け殻になったような身体。印象的なラストシーンでした。

あ、でもね山川さん、鳥の声とかもやってました。溝口と鶴川が仲良く話している場面で窓から顔を出してピチピチ、ピピピピピ…とやっていたところは心休まるひととき。しばしの安息を得た溝口の心情に寄り添う優しいさえずりでした。

新しい劇場のオープニング公演で「継続する美は嫌いだ、建築もそうだな」なんて台詞があるってのにもニヤリとさせられました。今後のラインナップも楽しみです。

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・KAATは新しい建物独特の匂いがまだしてた。ホールは大きめのSePTみたいな作りで見易かったです。1Fのカフェのランチもおいしかったー

・せっかく横浜迄来たので帰りは中華街→山下公園→赤レンガ倉庫→みなとみらいを散歩して帰って来た。寒いの好きな方なんで楽しかった