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2010年10月23日(土) ■ |
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『じゃじゃ馬馴らし』『ソーシャル・ネットワーク』 |
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どちらも膨大な量の台詞を演出と役者の力で魅せに魅せる作品でした。機関銃のようなテンポとリズム、すごかった!そして『ソーシャル・ネットワーク』にはシェイクスピア作品のような肌触りもあったのです。偶然とは言え同じ日に観たのは面白い体験でした。
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『じゃじゃ馬馴らし』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
そもそも筧さんを蜷川演出作品で観るなんてまー、あったらいいなあればいいなと思ったことは過去何度もありましたが、今になって実現するとは。長生きはするもんだねー!と書いてからぴーとさんのブログ観に行ったら同じこと書いてた(笑)。
自分の好きな演出家と役者が組んでくれれば嬉しい、と言うのは勿論ですが、筧さんが出演するバリバリのシェイクスピア作品と言うのを観てみたいとずっと思っていました。あの詩的とも言える美しいリズムの台詞は質量ともに濃厚膨大。モノにするのはとても難しいが、乗りこなせるひとが口にすれば“語らず、歌え”の世界が開けます。筧さんは台詞のF1ドライバーなので、絶対絶対面白い筈ー!と思ってて。過去筧さんが出演したシェイクスピア作品ってOTTSの『真夏の夜の夢』くらいですよね?何故だ…とも思ってて。
いやー、ま・さ・に!あのスピード、あの滑舌、あのおかしみ(笑)最高だった。筧さんを観る度思うが、ホントこのひとは芝居の怪物だわ…。あの台詞をあのスピードで言って、何故全て聴き取れるのだと言う。バリバリにクリアです。しかも言葉の羅列にならない。意味も頭にズバズバ入ってくる。プラス今回はその意味をいちいち考えてる暇をこちらに与えない、そしてそれは「あーペトルーチオってイカレてるー!」と言う印象をこちらにクッキリ植え付けます。内容的にはおいおいってな酷いことも相当言ってるのに、まあこんなひとだから…で許される域の人物像にしっかりなってしまう(笑)。そして同時にいいことも言ってるんだ、キャタリーナを口説きまくる時の甘く真剣な言葉の数々と言ったら!そのどちらもが成立してしまうとなれば、喜劇の登場人物として魅力的でない訳がない。
この作品ってモロ男尊女卑の話ととられても仕方がない内容なんですが、清々しいとも言える後味。劇中劇と言う構造を仕掛けているのが効果的で、所謂男女の役割なんて喜劇なんですよ、それを自覚した上で、役割を演じているんですよ、と言う約束ごとを提示している。そして劇中劇に切り替わる前の「(芝居は)何よりもわくわくすることですよ」と言う台詞。男女の役割を演じることは喜劇で、なおかつわくわくすること。そう言われるとなんだかパンと心が開きます。オールメールキャストと言うのもキモ。男が女を支配する、女が男に屈服させられる、と言うこの作品の嫌な面が、演技として楽しめるものになってくるのです。
“じゃじゃ馬”を演じるのは、男性が女性を演じるプロ中のプロ。亀治郎さんの女形としての所作、貫禄は勿論素晴らしく、その上で端々に“男女の役割”からはみだした演技を見せることで喜劇をより多層なものにする。突然ドスの利いた声に転じる、時折腕っ節が“男”になる、視覚的にも“男”の身体を見せる。緩急自在です。そんな彼女が終盤見せる大演説の説得力。イカレたペトルーチオにこのキャタリーナ、お似合いのふたりに見えてくる。そして亀治郎さんがいることで、月川くんも浮き上がることなくのびのびやれていたように思います。この月川くん演じるビアンカも絶品。女性の美しさ、女性の傲慢さ、女性の底知れなさ。突飛な行動も愛嬌に彩られます。
劇中劇の役者たちが入場する場面、退場する場面もすごくよかった。出てきただけで面白いよ筧さんも亀治郎さんも…くくく……(笑)。この、音楽とともに登場人物たちが手を振り乍ら練り歩く場面には一種祝祭めいた華やかさと幸福感があり、ああ芝居っていいな、人間って面白いなと言った気持ちで劇場を出ることが出来ます。あの音楽、あの役者たちの笑顔。今でも思い出せるし、思い出すとこちらも笑顔になるなー。
それにしても亀治郎さんと筧さん、どちらも自分の芸でガチンコでした。龍虎の対決ですよ!俺対俺、極端な話変人対変人(笑)。なんだろ野放しとは違うんだけど、自分の持っているものを惜しみなく出せる、それは現代劇でもシェイクスピア作品でも蜷川演出でも揺らぐことのない確固としたものを持っているふたりだからこそ。そしてそれを受けとめて、自分の演出作品に仕上げる蜷川さんも素晴らしい。演者が入る迄の枠組みの強固さ、入ってからの柔軟さ。いやー、こうなると今度は蜷川演出で筧さんの出演するシェイクスピア悲劇を観たい、観てみたいよー!そして亀治郎さんの演じる『サド侯爵夫人』とか観てみたい…この作品来年蜷川演出でやるのが決定してますが、亀治郎さんでも観てみたかったなー!
それにしても筧さんの衣装はいちいち面白かったわ…馬に乗ってる時の装束、くわがた…?みたいな兜で腹がよじれる程笑った。
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ぴーとさんと初めてお会い出来て、芝居の話もいろいろ出来て、さい芸のビストロやまで優雅なランチも出来て楽しかったーうまかったー。その後六本木に移動してMIOさんと合流、飴屋さんが箱から出た後最初の食事をした中華屋さんでごはん食べつつ音楽の話をいろいろ。こちらも楽しかったー。
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東京国際映画祭『ソーシャル・ネットワーク』@TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン6
たった6年前の出来事が、普遍性をも湛えた古典のような重厚さを備えた映画になった。裏切り、憧憬、嫉妬、誤解。ちょっとした逡巡、一時の勢いに任せた激情が、ボタンを掛け違えたかのように次々と取り返しのつかない事態を招いて行く。これはシェイクスピア作品のようではないか。それでいて、どうしようもなく現代的。若さ故の瑞々しさと苦さを描いた青春映画は、ひと昔前なら学園内での恋愛、スポーツ、バケーションと言った展開になりますが、今の若者は起業して何千億もの金を動かしてしまう。
スピード感溢れる台詞の応酬、舞台の台詞劇にもなりそうな芳醇な言葉たち。それを圧倒的なスピードで操りグイグイ観客を引き込んでいく役者たち。アーロン・ソーキンの脚本がすごい、ジェシー・アイゼンバーグ、アンドリュー・ガーフィールド、ジャスティン・ティンバーレイクら役者がすごい。そしてそれをテンポ良く緊迫感に溢れた映像に落とし込み、なおかつ登場人物に一瞬、ほんの一瞬浮かび上がる雄弁な表情を余すことなく掬いとった監督のデヴィッド・フィンチャーがすごい!
大雑把に言ってしまえば出会い系SNSを立ち上げようとしたエリート学生がオタクなプログラマーの能力を買ってサイト作成を依頼、プログラマーはそれを出し抜いて自分のものとしてオープン。アイディアを返せ!金払え!とケンカになる話です。プログラマーには共同創立者として出資を引き受けるちょいとした小金持ちのルームメイトがおり、彼ともケンカになる。子供じみた顕示欲や幼稚な意地の張り合い、コンプレックスの裏返しから来る他人への見下しが描かれます。正直言って子供のケンカなのです。しかし子供のケンカで済まなかったのが現代的なところ。彼らがやったことはあっと言う間にインターネットと言う網に散り、巨額の金が動く。幼い考えのまま社会に出て行かざるを得なくなった登場人物たちは、ちょっと可哀相にすら見える。
そこには特権階級の存在、そこに属するひとたちの無邪気な差別意識と、そこに“仲間入り”をしようとする、才能ある若者の姿がある。コネも金もないけれど、才能がある。彼は「自分は評価されるべき」と、別の特権意識を持っている。多くのものを手に入れるために、ひとりの友人を失う男の子の話にも見えます。でもやっぱり彼はひとつのものを手に入れるために、多くのものを捨てることになったのだと思います。どこかに属するため、そこに仲間入りするため。壊れた関係は二度と元に戻ることはありません。
フィンチャーはもともと大好きな監督でしたが、それは映像演出の名手としてでした。今回、生身の人間への演出力を見せつけられた感じです。ますます大好きになったー。映像の面で彼らしいなーと思ったところは、ミニチュア模型のように見えるボートレースのシーン(本城直季さんの撮る写真みたいな感じ)と双子ちゃんかな。エンドロール見たらこの双子の兄弟、ひとりの役者が演じていた!合成だったんですね…ビックリ。いや確かに同じ顔だけどさ、あの違和感のなさはすごいわ…。
トレント・レズナーとアティカス・ロスのサントラもよかったです。映画音楽として、最初はストーリーとともに聴きたかったので購入した音源は聴いていなかったのだ。そしてトレント等が直接手掛けていないエンディングに流れるある歌があまりにもシニカル、象徴的。笑ってしまうとともにどうしようもなくせつなくなりました。この選曲は誰がやったんだろう。
“上流階級に仲間入りした気分はどうだい?あそこで何を見たんだい、目に見えないものは何も見なかった?ベイビー、あんたは金持ちだ。ついに金持ちの仲間入りをしたんだね。”
よだん: ・エグゼクティヴ・プロデューサーにケヴィン・スペイシーのクレジット ・ジェシー・アイゼンバーグを見てるとなんかベン・リーを思い出すわ… ・ナップスターがこんなに絡んでるとは知らなかった。CDが売れなくなった云々のくだりは非常に興味深いシーンでした
一般公開されたらまた観に行こう。
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