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2008年11月22日(土)
『米田知子展 ―終わりは始まり』

『米田知子展 ―終わりは始まり』@原美術館

うーん、狙った訳ではないのだがちょっと続いたなあ、事件もの。しかしこれは成程こういう観点から実際にあった出来事を見詰めるのか、と言う作品展で興味深いものでした。

『シーン』『パラレル・ライフ』『ワン・プラス・ワン』シリーズは風景を撮ったもの。クリアな色彩とシャープな画像で撮られた綺麗な写真だ。風景にとけ込んでいる人物たちも、屈託のない笑顔だったり、初対面であろう撮影者をちょっと警戒するような表情をしていたりする。その土地に生きるひとたちの生活感をも写しているように見える。しかしタイトルテキストを読むと、同じ風景、同じ表情が違う意味を持って目に映るようになってくる。その風景の現場は、過去に戦争や事件が起こった場所なのだ。ゾルゲと尾崎が密会した奈良公園、地雷原が埋められているサラエボのサッカー場、北アイルランドのロンドンデリー(血の日曜日事件現場)、等々。

写真自体にその痕跡を見付けることは出来ない。惨事の爪痕を残すようなものは一切写っていない。それなのに、タイトルによってこちらの見る目が変わるのだ。そこで風景写真は記録写真に変わる。

『見えるものと見えないもののあいだ』シリーズでは、現実的には不可能である、「他人の視線」を自分のものとして体感することが出来る。実在した人物がかけていた眼鏡を通して見るテキストを写したものだ。ブレヒトの眼鏡で見るベンヤミンからの献辞、谷崎潤一郎の眼鏡で見る松子夫人への手紙、フロイトの眼鏡で見るユングのテキスト。想像を巡らせる。このひとは、こうやって字を見て、読んでいたのだ。そしてそれが写真に収められている。自分の視線が眼鏡の持ち主の視線に重なると同時に、それを撮影した写真家の視線をも共有する。視線そのものは写真には写らない。それは目に見えないものだ。記憶や思いを通して写真を見る、と言う行為も同様に目に見えるものではない。しかし、その写真には「それが写っている」。

個人的にはずっと裸眼で暮らしているので、眼鏡を通している部分とそうでない部分の境界線ってこんな感じで目に映るんだ、と新鮮に感じたりもした。

と言う訳で結構いろいろ考え込み乍ら進んで行ったのですが、『雪解けのあとに』シリーズ中の数点はほっとした気持ちで観ることが出来ました。ハンガリーの公衆浴場や室内プール。今回の展示の広告に使われている、退きの画面で撮られた、プールの中で抱き合っているふたりの写真は綺麗だったなー。しんとした室内、青い水面、外は春であろうけれどまだちょっと肌寒そう。反射光で美しく映えるプリントでした。

尤も、この写真には「恋人、ドゥナウーイヴァーロシュ(スターリン・シティと呼ばれた町)・ハンガリー」と言うタイトルが付いているのだが。

今回のデザインケーキは紙を模した杏仁豆腐の上に眼鏡を模した黒ごまムース、文字はチョコレートで書かれていました。うんぎゃーかわいいーおいしいー。

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そして明日も事件ものを観るのだった。さてどうなる。