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2004年03月23日(火)
『シブヤから遠く離れて』

『シブヤから遠く離れて』@シアターコクーン

いやー……こ、これは良かった。こういうの大好きです。舞台美術、照明、選曲、音響、スタッフワークにはもう文句なし!コクーンの奥行きを封じた装置の閉塞感、ゼラニウムの鮮やかな赤、焼け焦げたかのように枯れたヒマワリの黒。遠藤ミチロウの「カノン」「我自由丸」とJAGATARAの「クニナマシヱ」。飛んで行く小鳥(本物)。火。雪。役者陣の配置もドンピシャです。何より岩松了さんの脚本が素晴らしかった!そして岩松さんの世界をこんなに美しい形で具体化出来るとは…蜷川さんの「戯曲のテーマをわかりやすく提示する」手腕を思い知らされました。このふたりの組み合わせがこんなにうまくいくとは思ってなかった、すみませんすみません。

個人的な感想ですが、『血の婚礼』や『真情あふるる軽薄さ』が好きなひとはズッパマるかも。清水邦夫さんと蜷川さんが組んだ時によく見られる、刹那的なことを決して憂える訳ではないが、恐ろしい程に死への魅力を感じさせる舞台。成長することを、歳をとることを拒否したがるひとたち、現実とまともに向き合えない事への失望感。「死んだふり」と言うキーワードも含め。

諦めないでチケット探してよかった(定価で譲ってくれたおねーさん有難う!)以下ネタバレしてます。

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岩松さんにしてはわかりやすい話だった気がする。先月『ワニを素手でつかまえる方法』を観て、岩松節の感覚が抜けていないうちに観ることが出来たからかも知れない。あとルールが明確だったと言うか…限定された空間、カーテンによって遮られる部屋の内部、その中で時間軸は歪み、現実と虚構が入り交じる。あるいは全てが虚構かも知れない。と言うところに考えが及ぶように見せられている。ただ、わかりやすいからこそ、答えはひとつではない。まずここを納得しておけば、いくらでも解釈が出来るし、それを理不尽だと思うこともない。岩松さん自身の“正解”は何だろう。

どこ迄がナオヤの妄想なのか?と言うのがキモになる。ケンイチを殺したのは現実だろう。マリーとアオヤギが撃たれたのもそうだろう。では黒服の男たちは?フナキとの会話は?

2ちゃん(こういうのが読めるとこはいいんだよね2ちゃんて)でナオヤ=フナキ説が出ていてハッとした。これもアリだ。ブドウを買いに行くのはナオヤとフナキ。ナイフ=銃と武器を持っていたのもナオヤとフナキ。ナオヤがああなっていたかも知れないフナキ。ナオヤがああなりたかったかも知れないフナキ。あのままでいられなかったことを少し寂しく思うフナキ。

ではマリーはケンイチの母親?アオヤギはケンイチ?コンパクトを使うのはマリーと母親。2階から落ちるのはアオヤギとケンイチ。兄を殺されたアオヤギの妹。兄と何かあったかも知れないケンイチの妹。岩松さんの仕掛けもあるだろうが、ここを繋げて考えるとキリがない。あとをひく。

ラストシーンでナオヤは執着していた腕時計を外し、フナキに渡そうとする。時計を外すことによって、過去から解放されたか?それとも成長を拒否する決意をしたか?

二宮くん、よかった!こんなに危ういひとだったんだね。当て書きなところもあるだろうけど、もうナオヤにしか見えなかった。声の緩急のつけ方、後ろ姿に漂う不安定さ、キレる時とロウになる時のスイッチが極端に切り替わるところ。引きずり込まれた。これからも楽しみなひとです。『青の炎』観てみようかなあ。蜷川さんの舞台はすっごい好きなんだけど、あの濃さが映像ではどうなるかわからんので映画は観てないんだよな…。

キョンキョンは、同じ岩松さんの『隠れる女』の時のように癇に触ることなく(この時は「一生懸命謎の女を演じてます!」って感じられてちょっと…だったんだよね…)老いへの恐怖と人生の諦め感が滲み出ていた。最後の「しあわせになるって、かんたんなことね!」と言う台詞を引き受ける強さも感じた。死んでしまった人間がそんなことを言っている矛盾が、ナオヤが必死で現実を拒否しているようにも感じられて、影響力のある台詞だった。それにしても顔ちっちゃい…2階席だったので表情が殆ど判りませんでした(苦笑)その分声が頼りだった。今回の役にあの声は合っていたと思う。

哲太さんは時々台詞が不明瞭でドタバタしていたけど、余裕がないのは役のせいかな。意図的だとしたらすごい。マッチしていてよかったです。まあある意味いちばん幸せなひとだったのかな…。最後にマリーといられたしね。

そしてそして!勝村さんのフナキがすっっっっっごくよかった!ヤバいし、エロいし、怖いし!いちばん常識人のふりしていちばんヤバい。フナキもスイッチの切り替わりが予測つかなかったし。関わりたがりなところも不気味だった。彼の言う「寂しいんだよ」の意味を考えると気が滅入る。このひとが出てくると舞台の温度が下がると言うか、場に不穏な空気が現れる。その不穏ってのがとても魅力的で、うわ、ヤバいなこのひと、あまり関わらないでおいた方がいいかも…と思いつつもつい声をかけてしまいそうなひとなつっこさを持ち合わせているのでタチが悪い。しかもウマいとこ笑わせる余裕もあるし。久々にこのひとの怖い色気を観た。嬉しかった。正直ナオヤとの絡みは、ナオヤとマリーのそれよりもエロかったと思います(笑)まあマリーは母性愛的なニュアンスもあったしね。

ラストシーンで静まり返った観客席。あれは劇場(観客)の静けさではなく、“現場”に居合わせた群衆の静けさだった様に思えた。また観たい。同じキャストで、同じ場所で。時間は進み、ひとは歳をとり、再演された時にはまた違うものになっているだろうけれど。時間は止められない。