表身頃のココロ
ぼちぼちと。今さらながら。

2005年10月12日(水) 「ドア・イン・ザ・フロア」と“未亡人の一年”

アーヴィング原作映画は、1に「ガープの世界、2に「ホテル・ニューハンプシャー」、3、4がなくて5、6もなくて「サイモン・バーチ」と「サイダーハウス〜」・・と思っている。
が、この「ドア・イン・ザ・フロア」は、他のアーヴィング原作映画とは別の地平に位置しているような印象を受ける。というのは、原作「未亡人の一年」の約1/3のみを映画化したことに起因しているとも言えるのだが、これでもかっ!てほど展開する悲喜劇は陰を潜め、ひとつの終末に向かって繊細に登場人物の心情をたどっていく演出に終始しているのだ。
上手にまとまった優等生的「サイダーハウス・ルール」(アーヴィングが脚本を担当して気に入っているというが)なんかより、ずっとずっと好きだ。

映画は、若くして事故死した兄弟の写真を家中の壁にかけ、いわば死者と共に暮らしている機能不全家族のひと夏が描かれる。
死んだ息子を巡る思いに支配された母親。悲劇に逃避姿勢かつ快楽主義者の父親。兄たちの死後生まれた4歳のルースは、そんな中で鋭敏な神経をもつ聡明な少女として育っていく。生まれたときから家の一部として存在する兄達の写真は、彼女の精神の拠り所になっているようだ(それは母からの感応に違いないが)。
壊れかけた家族の中に、表向きは父親である作家のアシスタント・実は閉塞した世界を打ち壊す最後のひと押しの道具として雇われた少年が加わり、話が転がり出す。


私はジェフ・ブリッジスが大好きなのだが、ここでも本当に良い良い良い!!二重あごにたぷたぷのお腹をかかえた中年男ブリッジスだが、やはり素敵だ!無造作に大胆に振る舞っているように見えて、奥底にある繊細な心の演技にため息が漏れる。また、素敵に歳を重ねてきているキム・ベイシンガーの弱さと強さを併せ持つたたずまいもまた素晴らしく、この二人の表現者あってこそ成立した映画といえるかもしれない。

実は、この映画が原作の1/3部分の映画化と知ったのは、映画を見てから数日後の事。
あの聡明なまなざしの4歳の少女ルースのその後が気になってしょうがない。
もちろん読み始めた。打ちのめされた。
アーヴィング作品を何となく映画で見て知ったような気になっていた。
その愚かな間違い心は即、叩きつぶした。
この作家の凄さを実感した。
上巻は何度か中断しつつ読んでいたが、下巻は一気にラストまでやめられない。
ちょっとの中断中も読了後もしばらく小説世界が頭から離れなかった。
物語に浸る喜びに打ち震えた・・こんな気分は去年の「犬は勘定に入れません」以来だ。

映画に描かれた部分の後は、一気に30数年後に飛ぶ。
ルースも34歳だ。成人しても両親と死んだ兄たちの呪縛から逃れられない彼女も作家だ。劇中劇ならぬ小説中小説とでもいうのか、彼らの内面を良くあらわす重要な役割を果たす小説達はまたアーヴィングの小説作法やらも披露しているようである。
残酷な滑稽さというか、滑稽な残酷さテイスト爆裂で思いもよらぬ方向に話が展開され、そしてラスト。
最後の一行に息が止まった。そして涙がどぉっと流れ落ちた。声も洩れたかもしれない。
至福の瞬間だった。こういうことがあるから読書はやめられない。

「ガープの世界」ではガープのママ=グレン・クローズがお話の精神的支柱となっていた気がするが、ここではルースのママ=キム・ベイシンガーだ。
話の中で長い間登場することがなくても、目に見えない存在を感じさせてくれる。
30年後、同じキャストで続編の映画が見たい。
・・というか、30年後の同じ役のキム・ベイシンガーが見たいだけなんだけど・・。
成長したルースは何故かジョディ・フォスターが浮かんでしょうがなかった。

監督・脚本:トッド・ウィリアムズ
ジェフ・ブリッジス、キム・ベイシンガー、
ジョン・フォスター、ミミ・ロジャース、エル・ファニング


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るつ [MAIL]

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