◆ カナリア [日本/年2004/132分]
監督・脚本:塩田明彦 出演:石田法嗣 、谷村美月、西島秀俊、 りょう 、つぐみ、甲田益也子
面白く見ていたものの、途中でふっと時間の無駄したかな・・などと考え始めた私だったが、ラストでココロの底からぶっ飛んでしまった!! 映画は最後まで見ないと本当に分からない! これは、極端に言えば子どもの論理に沿ったアナーキーな傑作だ!
見てから少し経ってしまったので詳細はだいぶ忘れてしまったものの、いまだに残っているエッセンスでの、ちと極端な感想。
ーネタバレー
中心軸に、さらわれた(と思っている)妹の救出の旅に出かけるお兄ちゃん光一のアドベンチャーが語られる。 まず、光一が廃校の中で見つけたアイテムは、旅に必要なスニーカー・武器となるドライバー。 そして頼りになる旅の仲間として由希が加わる。 旅の途中必要となるのは、お金と目的地までの足。 りょうとつぐみのレズビアンカップルがその役を仰せつかる。 霧の中を彷徨うようなドライブシーンは幻想的で旅のリアリティとは無縁である。 極端に端折られた道行きの末たどり着いた東京。 ここらからは、かつてカルト教団で光一の教育係だった伊沢との偶然の出会いを通じ、教団とは違う形の疑似家族を体験。 向かう先は、妹朝子を拉致した悪のラスボス(と光一が思っている)おじいちゃんち。 光一の12年の人生の中で体験してきたのは、自己矛盾に満ちた大人の論理で引き裂かれ続けた事がほとんどだ。 カルトの中でも外でも親でも他人でも指針となるべきものとは無縁の半生。 彼の半身でもある由希も同様。 そんな彼らに彼らなりの論理が形作られていくのは自然なことである。 そんな論理に基づいた彼らの想定する悪の象徴じいちゃんとの対決は必然。 しかし、じいちゃんにはじいちゃんの論理がまたある。 光一の髪が一瞬にして変わったのは、クリアの証か。 ラスト、子ども3人で歩いていく姿のなんとアナーキーでかっこいいことか! 高揚感と共に心からの喝采を送る! それに被さる音楽もまた素晴らしい。
しかし、この映画は、そんな子どもの論理をゆっくりあぶり出し描きながらも、大人の論理もきちんと描いている事により、より奥行きのあるものとなった。 既存の価値観によってカルトや大人を声高に糾弾することなく、彼らの置かれた立場や状況からの行動や発言を自然なものとして、並列で描ける監督は素敵だ。
私は、この塩田監督の「月光の囁き」が気に入って以来、邦画なのに珍しく塩田作品を見続けているのだが、唯一「どこまでもいこう」が未見だ。 未見ながら「どこまでもいこう」がこの「カナリア」に一番近いのではないかと思われる。 これは是非、見なければと思う。
塩田監督と作品の中でも特に「どこまでもいこう」が大好きな友人は、 “平坦な戦場を生きのびることの厳しさを、きっと塩田監督は知っているのだなーと思う”などと述べていて、思わず感激してしまった私なのであった。
しかし、映画の冒頭で保護施設を脱走した光一がかぶっていたのは教団の帽子。それを脱ぎ捨てるシーンがあるが、そこが分からない。なぜ保護施設で帽子を?脱走の時まで。
(3/8 at TOKYO FM ホール)
|