表身頃のココロ
ぼちぼちと。今さらながら。

2005年02月16日(水) 榎倉康二展 + 何かを待ち望んでいる人の銅像









◇榎倉康二展
 at東京都現代美術館

この美術展のチラシ一枚で、榎倉康二に一目惚れしてしまった小娘。
私も興味があったので一緒に行ってみた。

作品は時代のブロックごとに展示してある。
正直言って初期の作品はあまり面白くないのだが、だんだん時代が進むにつれ引き込まれて来る。そして「干渉」というタイトルにたどり着いた時に“あぁ、そうだったのか”と、その意識の流れに合点がいったのだ。
ちなみに、辞書で干渉の定義を見てみると・・

(物)二つ以上の同じ種類の波が一点で出合う時、その点での波の振幅は個々の波の振幅の和で表せること。例えば音叉(おんさ)を耳の近くで回すと、二つの枝から出る波の位相が同じなら互いに強め合い反対の位相では弱め合って、音が大きくなったり小さくなったりする。光の場合でも薄い膜の反射光に色がついて見えるのは干渉による。

・・とある。榎倉の作品そのものの説明のようにも思えるのだ。(ちょっと拡大解釈?)

直角の壁と床との間の三角空間に出現する異素材の物体。
冷たい板やリノリウムの床の上の水たまり、鏡やガラスに貼り付けられた粘土の固まり、波打ち際で波と砂の境目に横たわる人物、乾いてひび割れた地面に根を張る植物や木・・などの写真。
林の中、突如現れるコンクリートの壁、というインスタレーション。
そして、キャンバス地に染み込ませた廃油の作品群。
二枚の異素材の布、片方に廃油を染み込ませ、一部を重ならせたとき、重なる部分にも染み込む油。
廃油に浸した四角い鉄・木材をキャンバス地にプリントした作品群。
また、その木材を一緒に並べた作品群。

これら全く違う物質が浸食ではなく、干渉で生まれる繊細で静かな調和の世界があったのだ。
初期の発想が鋭敏に進化・洗練されてくる過程を見ることが出来るのは、このような大きな個人展覧会ならではだ。

後で知ったのだが、時を同じくして銀座のギャラリーでも榎倉康二展を開催していたのだ。
既に2/12で終了したとのこと、残念だった〜。


余談だが、この展覧会に一緒にいった小娘の好きな絵に長谷川等伯の「松林図屏風」がある。
何となく、榎倉康二の世界と通ずるものがあるではないか。
それと本人は未だに分かっていないようだけれど、テレビなどでたまたまターナーの絵を見ると「あぁ〜これ好きかも〜♪」と必ず言うのだ(本人は言った事を覚えていない!)。
榎倉康二・長谷川等伯・ターナー。
ジャンルは全て違うが、ぼやけ具合(笑)とダイナミックさと静かな美しさを併せ持つ彼らの共通部分が彼女の好みなのだった。ある意味分かり易い!
今度ターナーの絵が来たら、連れていってあげようと思っている。
小さい頃から時々美術館に連れていっていたのだけれど、何故か西洋画には興味を示さなかった。最近は、彼女に日本画や仏像の面白さをいろいろ教えてもらっているので、お返しに西洋画の面白さを発見させるチャ〜ンス!

◇「何かを待ち望んでいる人の銅像」by MUSASIさん
 at NHKふれあい広場

2/15「マシニスト」@シネクイントの後に、近くまで来たということでちらと見てきた。
たまたま見た、金曜書き込みTVの1コーナーのみうらじゅん主催アート掲示板
“銅像大賞”受賞作品だった。
顔の部分が六波羅密寺の空也上人像を彷彿させる面白いものだったのだ。
写してこようと思ったのだが、撮影禁止の張り紙と警備員で断念。


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