表身頃のココロ
ぼちぼちと。今さらながら。

2005年02月06日(日) 「父、帰る」

◆ 「父、帰る」
[ロシア/2004年/111分]
The Return

監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
撮影:ミハイル・クリチマン
出演:ウラディミール・ガーリン、イワン・ドブロヌラヴォフ、
コンスタンチン・ラヴロネンコ


「父、帰る」は昨年の私のベスト!
・・のみならず、ここ10年位のベスト5には入りそうな勢いなのだ。
私はクリスチャンではないが、聖書の隠喩がちりばめられた・・というより、骨子を聖書からとったと思えるこの映画にノックアウトされてしまった。

12年の空白の後、突然帰ってきた父は、モンテーニャの「死せるキリスト」の構図そのままの昼寝姿でキリストになぞらえられている。
死んだ人間イエスには復活が待っている。そして復活後、甦ったイエスの存在を弟子に知らしめた後は昇天・・今度は本当に地上からおさらばしてしまうという筋書きが待っている。
父の最初の姿が絵画を引用したキリストであると宣言したからには、最後は昇天という“死”に至るのは必然だったのだ。

父という存在を息子達に強烈に知らしめた後の昇天は、現れた時と同じ足下からのアングルで小舟もろとも水の中へ沈みゆく姿として描写される。
旧約の創世記で、神は一日目に光と闇を作り、二日目におおぞらを作りそれを二つに分け上を天・下を水に分けた、とあるが、父が沈んだ水底は天へと繋がるものとして捉えるのも有りかと思う。
それ以前に、タワーから墜ちる姿は空へ昇る姿とも重なる。

夕食時、血と肉であるパンとワインを家族に分け与えるシーン・・などなど、他にも数え切れない程の隠喩に満ちているが、それをすっぱり抜きにしても純粋に面白いのが素晴らしい。

最初、映画は弟の目線で描かれているので、久々に帰った父親は横暴にも見えるのだが、実は父親の言動は表現が唐突なだけ(これはイエスや神にも言えるかも・笑)で、理にかなっているのだ。
女所帯で育てられ、特に父がいなくなったとき赤ん坊だった弟は、男の原型を学ぶ機会を持たず育ってきた。冒頭のエピソードでも描かれるが、我を通そうとする傾向の強い彼を母親は優しく受け入れてくれる。経験のない父親的権威の押しつけには反発するしかない彼なのだった。この弟にとっても、また少々気弱風な兄にとっても、この時期必要だったのは男親の存在だったのだ。
彼ら三人車での小旅行で、兄は少しずつ生きていく上での知恵や対応の仕方を学んでいく。
父の死後、兄がリーダーとして短い間に成長した姿はまさしく感動的だ。
そして弟は、自分でも気づかないままぽっかり欠けた部分を埋めることが出来たのだ。

この映画を語るとき「タルコフスキーから連なるロシア映画のDNA」などといった文をあちこちで目にしたが、それは確かだと思える。
特筆すべきはこの映画の映像・構図の美しさだ。
美しく、残酷なほどに静謐な世界。
一度目に見たときは、本当にため息を漏らしてしまった!
脳内麻薬爆裂ムービーだったのだ!

ところで、いきなり父が現れた時、兄弟が走って確かめに行ったのは、聖書らしき本に挟まれていた過去の家族写真。
最初に見た時は、字幕と写真に気を取られていて、挟まれたページに描かれていたエッチングの絵柄を確認できなかったが、今回しっかり確認できた。
旧約聖書のアブラハムが息子のイサクを(神に言われた通りに)生け贄に捧げようとして、手にかける直前で天使が止めに入るシーンだ。神がアブラハムの信仰心を試そうとした所である。・・・旧約の神は、至る所でほんとにえげつない!
まぁ、それで何故このページだったのかずっと気になっていたのだ。
こじつけも含めて考えていたのだが、挟まれていた写真は、父が当たり前のように存在していた時代の幸福な4人の家族写真。
神の存在が今ほど遠くなかった時代、アブラハムは神の存在を心から信じていた男。
父=神となぞらえて、それぞれの存在が信じられた時代というところだろうか?

映画のラスト近くで父親の車で見つかった、父親がずっと眺めていたであろう写真は、父親抜きの母子3人の写真だったということも興味深い。

(at ギンレイホール)


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