表身頃のココロ
ぼちぼちと。今さらながら。

2004年11月21日(日) フィルメックスその1「おそいひと」+ ボーディ・ガーボル特集

特集上映〜ハンガリーの前衛的鬼才〜ボーディ・ガーボル

◆「アメリカン・ポストカード」
[ハンガリー/1975年/104分]
監督:ボーディ・ガーボル

◆「ナルシスとプシュケ」
[ハンガリー/1980年/136分]
監督:ボーディ・ガーボル
出演:ウド・キアー、パトリシア・アドリアニ

他の日に見る予定にしていた「ナルシスとプシュケ」だったが
【ウド・キアー来日・Q&Aあり!】
が本日だと知り、急遽参上する。
「ナルシスとプシュケ」の25年前のウド・キアーは、とびっきりチャーミング〜♪で
ナルシス役にふさわしい輝きを放っていた。
最後に見たのは「ドッグ・ビル」の背広姿だったか・・彼がちらりと出るとわくわくしてしまう人も多いと思う。
現在のウド・キアーさんは、おなかがぽっこり飛び出し、かなりウェイト増のご様子。
話出すと、さすがファスビンダーやトリアーやら強烈な人物と馬が合うようなキャラに大人の風格が漂い、いろいろくぐり抜けてきたぜってな余裕と大いなるプロ意識を見せ・・要はやっぱり魅力的だったのだ。

で、「ナルシスとプシュケ」である。
出かける前に、ギリシア神話のナルシスとプシュケそれぞれのエピソードにざっと目を通し復習をしておく。これは正解だった。
ギリシア神話中のナルシス・プシュケのそれぞれの大まかなキャラクターや象徴する行動様式が誇張され独自の解釈で肉付けされ時代を変えて甦った。
ナルシス・プシュケそれぞれは神話の中では交差しない。
が、共通する登場人物のアフロディテ(ビーナス)を劇中劇で登場させるなど目配せあり。
物語は、ナルシスとプシュケ、互いに長年求め合い引かれあいながら、各自のややこしい世界を描きつつ交差させていく。
時代背景は最初は中世あたりだったのが、話の区切りごとに時代が進んで行く。(ブダ・ペストが昔はペスト=ブダだったということを知った。)現代に近づいたあたりでは、突然、ヒトラーが間違い電話をしてきたりして可笑しい。・・と、時代はどんどん変わっていく訳だが、登場人物は変わらず年をとらない。
これらの構成が本当に素晴らしいと感じるのだが、その説明は私の力量では完全に無理〜と諦める。

このボーディ・ガーボルという監督、長編3作と短編数作を遺し、39歳という若さで自ら命を絶ったそうだ。才能ある芸術家の早すぎる死に合掌。


◆「おそいひと」
[日本/2004年/83分]
監督:柴田剛
出演:住田雅清

障害者の通り魔・シリアルキラーなのである!
腫れ物にさわるような扱いでなく、美談でなく露悪趣味でなく、れっきとしたフィクションで障害者を主人公にした映画の誕生に拍手。
気負い無くいやみなく描けているのは大阪ならではの感覚かもしれない。
電動車椅子で街を闊歩し、ポータブルのトークマシーンで会話をし、ビール好き、がしゃぽんの兵士のフィギュア好き、女性好きな住田さんが、ボランティアの女子大生ヘルパーが好きになる。
しかし思うようにはいかず募る疎外感。
最初の殺人後、事情を知らない女子大生に「人って簡単に死ぬんやね」とつぶやかれ、思わず「ちがう」と地面に文字を書く。電動車椅子では上れぬ階段に、いつも物思う住田さん。彼の心象風景が描かれるが実は動機がいまひとつ弱い。
はっとするショットが多く見受けられた。
電動車椅子と夜の街はよく似合う。
冒頭のヘビメタもいい感じだったし、エンドロールの音楽は「ひかりのまち」の時のマイケル・ナイマン風。
ユーモラスでありながら、やるせないラストシーンに続く音楽はよく似合っていた。


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るつ [MAIL]

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