嗚呼!米国駐在員。
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2006年03月10日(金) やはり日本と思う訳。

こうしてアメリカに住んで3年が経過しようとしているが、日本の強さというものを益々感じてきている。

自動車を筆頭にした日本製品が世界に流れ込んでいるが、どれも他国にはマネできない技術を持っている。ハイブリッド車にしても、アメリカにはない車を消費者が喜んで買うという構造が出来ている為、70年代や80年代の貿易摩擦にもならない。他にはないプレミア付きで販売出来るから、価格競争にも巻き込まれない。


アメリカはモノ作りを諦めた国だ。
テレビだって日用雑貨だって、他国へ依存する事で成り立っている。第一人者の自動車だって瀕死状態。だから、モノ作りに対する尊厳など見られないように思える。ところが日本が捨ててしまった産業というのは見当たらない。日本の産業は80円台という超円高でも創意工夫をして生き延びてきた。モノ作りは日本が立派に世界に対して自慢出来る「文化」だ。
日本人というのは100%を目指し、詳細まで徹底的にこだわる。いや、私はこだわらない、と言う人がいても、世界から見れば立派にこだわっているはずだ。日本にいた時には窮屈に感じたこんな風土も、アメリカ人の全くこだわりのない貧相な意識にいつも接していると、何かかけがえのないものに思えてくる。

電化製品や携帯電話など、日本人は機能、色、形、と、わずかな違いを選択する事を楽しむ。
人より少しでも優れたもの、新しいものを求める。そして、顧客から求められる前に、次々と新製品を発表していく製造メーカー。自動車や家電などの商品に、どんどん得意のITを取り入れていく融合技術。こんな国は日本以外に無いのではないか。一時帰国した際に寄った電気屋では、目に入る製品の全てに驚きすぎて疲れてしまったほどである。日本では日常のこんな風景も、海外から見ると実に独特な文化だと思う。

アメリカなんて未だにブラウン管テレビが主流だし、携帯でメールも送れない。写真が取れる携帯を持っている人を見たのはかつて1度しかない。冷蔵庫/掃除機や洗濯機は、デカイだけでうるさく機能は全く期待出来ない。それでもそんなものだと言って、各家庭とも同じような大型ガラクタ家電を使っている。また、国土の広さに違いはあるにしても、申し訳程度のカーナビのレベルの低さは、不愉快になるほどひどくて言葉も出ないほど。
まあ、それで満足する国民だからしょうがないし、そんな環境に住んでしまうとそれはそれで慣れてしまうのだが・・・。

新聞や雑誌では、「日本もうかうかしていられない」と、中国をはじめとしたBRICs脅威論が幅を利かせているが、これらの国々に日本製品のような独創的でかつ技術的に申し分のない製品なんて絶対に開発出来ない。人件費の安さを武器にした廉価商品だけが、これらの国の得意とするところである。アメリカが中国の人民元切り上げを強く要請するのも、“中国製品なんて安いだけで俺達だってそのくらいやれば出来るんだ、対北米輸出が多いからって勘違いするなよ”という意識があるはずだが、日本に対しては、自分達では作れない製品、と自覚しているから、アメリカ政府だってうるさい事は言わないし言えない。


これから世の中が益々豊かになれば、消費者はよりよい製品を求める事になる。それが、まさに世界一の技術力と開発力を誇る日本製品である。世界に飛び出すと、こうした身近な製品でも日本のよさを改めて実感する。


Kyosuke