嗚呼!米国駐在員。
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2005年12月11日(日) |
出張帰りのトラブル その2 |
(前回からの続き)
離陸後わずか40分で目的地に着陸した。 機内には安堵の雰囲気。一斉にアメリカ人どもがそれぞれの家族に電話を入れて無事を報告する。息も絶え絶えだった後ろの白人は、ワイフに電話をして迎えに来てもらうように頼んでいた。「後20分位で空港を出れるから、今から家を出ればちょうどいいくらいだと思うよ。」
滑走路を除いて空港内は雪に覆われていた。1時間で100機以上の離発着があるこの空港で、行き場を失った迷い子のような飛行機があちこちに見られる。中には人が乗っているのだろうか。それははじめて見る異様な光景だった。
自分を乗せた機体は、着陸後にそのままノロノロ動き出した。が、ターミナルに向かう事もなくそのまま速度を落とした。嫌な予感がした。
と、そのまま止まってしまった。
「え〜、機長です。現在、ゲートが全て一杯のようでどこに行けばいいのか指示を待っています。理由は、I don't Know. 多分、すぐに指示が来ると思いますので、もうしばらく我慢してください。」
もう客は誰も反応しない。人間は待つことに疲れてしまうと、全てをありのままに受け入れるしかなくなってしまうようだ。それでも待つしかないのだが、もう何も考えたくない、怒りさえも感じたくない、と、みんなが思っているのだろう。
そのうち眠ってしまった。 エコノミー席での窮屈な姿勢のままで何度も目が覚めた。そんな体勢で寝ることがあまりに疲れて起きることにした。時計を見ると、既に着陸後1時間が経過していた。眠る前から1メートルも動いていない。
しばらくして機長からのアナウンスが入った。
「ようやくゲートの指示がありました。今から向かいます。長らくお待たせ致しました。」
後ろの白人の電話の着信音が何度も鳴る。説明をする旦那。「俺だってよく分からないんだよ。でも、今ゲートに向かっているからもうすぐだ。」 雪の中、ワイフが空港に到着したのだろう。
そして、ようやく飛行機はゲートへ到着した。 その瞬間、一斉に全員の乗客が立ち上がって自分の荷物を片手に前方に殺到した。我慢も限界だったのだろう。窓側の座席に座っていた自分は、前方の乗客が動いてから立ち上がることにした。既に午前3時を過ぎている。本当に長い旅だった。
と、ところが、いつになっても通路にぎっしり埋まった乗客が動かない。
アナウンスが入った。
「エ〜、何故だか分かりませんが、ゲートが開きません。只今修理中です。」
「F・U・C・K !!!」
我慢の限界を超えた乗客たちから、行き場のない罵倒の声が上がった。疲労と寝不足でハイテンションになっているのか、今にも乱闘が起きるかという雰囲気だ。
例の後ろの白人の携帯はなりっぱなし。旦那が説明。「本当だって。ゲートが開かないんだって。俺だって何だか分からないんだよ。そう、もう着いているんだよ、でもゲートが開かないんだ。」 可哀そうに、深夜の大雪の中で待ちくたびれたワイフがお怒りなのだろう。
その後、15分ほどしてゲートは開いた。 もう解放される、そう思ってからのこの15分は1時間にも感じられた。初老の上品そうな機長が出てきて出て行く客に一言一言声をかけていた。プロである。彼らもこの天候の被害者なのだろう。初めからキャンセルになっていれば、今頃ホテルで熟睡しているのに、大雪の中で緊張を強いられる飛行をした挙句、客から罵声を浴びせられてやっていられない事だろう。
ターミナルに入るとそこは難民キャンプのようだった。 キャンセルを喰らったアメリカ人どもがあたりかまわず地べたに寝転がっている。待合室のイスの下で寝ている人もいた。
彼らを横目に思った。ようやくこれで家に帰れる。本当にホッとした。
でも、そこでホッとした自分はまだまだ、まだまだ甘かったのである。
(続)
Kyosuke
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