嗚呼!米国駐在員。
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2004年04月19日(月) 人質ナイフ映像は演出 / 充実の週末

16日(金)から今日18日までは、ばたばたの3日間で大忙し。
つい4〜5日前までは、雪もちらつき気温も零下だったのが、突然25度まで気温が上昇。一気に夏になってしまった。春がないとは聞いていたが、あまりにも極端な変化で身体がついていかない。まわりの人も先週末はコートで完全防備していたのに、いきなりみんな短パンにタンクトップだもんな。

ざっとネットのニュースを見ると、例の3人は無事に解放されて日本についたようだな。色んな意味で、これは本当に良かった事だと思う。これからゆっくりと事情聴取が始まる事になるんだろうけど、すでに、人質にナイフの脅迫映像は演出だった事を早々と認めたようだ。

それから、高遠さんが「ごめんなさい」って泣きながら頭を下げたりした事、一体どういう意味なんだろうか。ボランティアはわざわざイラクいかなくても日本でやってください、といいたい。

人質の家族は、相変わらず言いっぱなしで謝罪してへんのだろうか。そうだったら、国民の怒りは収まらないだろうな。彼らは自分たちの理不尽な政治活動について、きちんと総括する責任があると思うのだが。

でも、本当に自作自演でした、と3人及び彼らの黒幕が認めた場合、日本は世界中から非難の嵐を受けバカにされる、こりゃとんでもない事になるな、とふっと思った。ただ、公安当局からは、既に自作自演が大方ばれちゃっている気がするから、時間の問題なんだろうけど。

一貫していいたい事は、国の命令だったら国が責任持つ、会社の命令は会社が責任持つ、個人でやった事なら個人で責任持つというのは、大人の世界では常識だということ。 真相解明に注目したい。


16日(金)は、ローカルスタッフ含めて日本人駐在員の歓送迎会でステーキハウスへ。
ちょうど1年前に自分も緊張してこの場に出た事を覚えている。米人に、1年前はお前たちの喋っている事がさっぱり分からず、日本から意気込んで来た矢先にショックだったよ、と言うと、今こんなに緊張感なく座って偉そうな奴が嘘言うんじゃないよ、と言われてしまった。ははは。
2次会は、米人スタッフにほんのちょっとエキサイティングな所に連れて行ってもらった。ただ、イリノイ州は法律が厳しいので、日本の風俗店やキャバクラ、ストリップとはまるで縁の遠いものである。ちなみに、女性客もかなり多かった。

17日(土)は、朝から車のタイヤ交換。さすがにもう雪は降らないだろう、との判断でスタッドレスから普通のタイヤへ。それから、新任駐在員の先輩を連れて、銀行口座の開設。SOCIAL SECURITY番号がまだないのだが、CITY BANKは口座を作ってくれる。1年前につれてこられた時は、CHECKもSAVINGもCHECKING ACCOUNTもさっぱり分からなかったが、気がつくとすっかり慣れたな。

その後は、ぶらりとあちこち車で店を回って説明。先輩はゴルフ屋の店舗の大きさと安さに驚いて、バッグやら色々買い込んでいたが、1年前は自分も全く同じ。これだけは今も変わらないが・・。

夕方からは、帰国する後輩宅へ送別会。会社は全く関係ない集まりで、駐在員組ではなくいわゆる現地永住組がほとんど。色んな人の話が聞けて面白かった。それにしても、現地校に通う子供たちの発音のうまさには恐れ入った。自分の英語の発音も聞いてもらったのだが、話すたびに話にならん、と大笑いされてしまう。結構真剣に発音したのにな。やっぱ子供は耳がいいんだろうな。
何だかんだで夜まで。久しぶりにワインも飲んで疲れた。

今日は、会社の日本人で歓送迎ゴルフ(そんなのばかりだな)。
支店で持っているPRIVATE COURSEに朝8時TEE TIME。これまた強風にあおられゴルフにならず(そんなのばっかだな)。夕方戻って、先輩駐在員の車の運転指導。口を酸っぱく右側通行というのに、やっぱり何度か左車線に入ってしまう。これも自分の場合もそうだったのだが、慣れてもらうしかないな。


Kyosuke