嗚呼!米国駐在員。
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2004年03月25日(木) 石原慎太郎「太陽の季節」

今日は、昨年度の評価面接。NYの社長とテレビ会議で面談。
予想したよりあっさりと終了したが、それはそれで不安になるものだ。(←どっちやねん)

昨晩は、石原慎太郎の「太陽の季節」読了。
何故今更アメリカで「太陽の季節」か?  昨年末、オフィスの倉庫を整理していた際に、ダンボールに入った日本文学全集なるものを発見。夏目漱石から太宰治から蒼々たる作家の代表作。昭和40年代発行。全部で50冊くらいあるか。おそらく当時の駐在員が日本から送ってもらったのだろうか。 見たところ、人が読んだ形跡は全くないが、いい暇つぶしが出来たので、1冊ずつ持って帰って読むことにしたのだ。

1955年、23才の大学生だった石原は小説「太陽の季節」を書き、芥川賞を受賞した。まったく初めてのこの小説を、彼は3日で書き上げたたしい。
「太陽の季節」はお金持ちの家の出の大学生仲間の話。仲間と遊びまわっている拳闘部の竜哉は、街で英子に声をかけて知り合う。彼女も遊びまわっていたが、竜哉に純愛を傾けるようになる。
しかし竜哉は英子を困らせるような態度をとるようになり、兄に彼女を譲る密約を交わしたりした。竜也の嫌がらせにもめげずに一途の態度を貫く英子は、やがて竜哉の子を身篭ったことを告白する。竜哉は最初は生むことを了承したが、子どもを抱いたチャンピオンの顔がだらしかなかったのを新聞で見て、中絶するように言う。妊娠四ヶ月を過ぎていたため帝王切開を行なった英子は、なんと腹膜炎を併発して死ぬ。

葬式の席で香炉を英子の写真に叩きつけた竜哉は目に涙をためてジムに向かい、ふと英子の言葉を思い出す。
"―何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの..."

確かに一見滅茶苦茶な話で当時は批判もかなり多かったが、若者たちの共感を呼んだ。「時代性」と「新しい感性」が受けたようだ。確かにこれは、美しい青春、という当時ははやりの文学とは異なり、堂々と悪さを選ぶ若者を描いたという点での異色性はあったのかもしれない。

それにしても石原慎太郎、今も元気で暴れん坊してるのだろうか。
誰の言いなりにもならないぞ、という強い態度が大好きである。暴言が多いと言われても多くの人が支持している事からすれば、実は誰もがこの暴れぶりを見たいのだと思う。そして、国民はやっぱり誰かを頼りたい、どうせなら大きいことぶち上げるこんなオヤジを頼りたいのだろう。


Kyosuke