嗚呼!米国駐在員。
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2004年01月12日(月) DIFFICULTY

昨晩は、去年たまたまゴルフ場で知り合った知人と韓国料理で焼肉。
氏は37歳くらいで駐在3年を迎えようとしている。普通はゴルフ場で知り合ったとはいえ、後日食事までするような関係にはならないのだろうが、不思議と気が合うような気がして連絡を続けており、今回がはじめての食事で久しぶりの再開となったもの。シカゴの生活情報から語学学校、仕事のこと、アメリカそのものについていろいろ語った。
お互いせっかく駐在しており、駐在前には夢があったが現実に来てみると、足元の生活に必死でなかなか理想の自分になりきれないもどかしさをもっている。特に、氏は技術者でありやはり日本のきめ細かな技術力はアメリカは勝てない、という感を抱いているが、会社のアメリカ人スタッフは、100%アメリカがNO.1と強く強く信じており、そのあたりの戸惑いがあるようだ。まあ、これは技術に限らないのだが。アメリカ人に日本の総理大臣をしっているか、と聞いて答えが返ってきた経験は未だにない。

ともにアメリカ生活で納得できない事が特にお金のやりとりで多い、という点で意見が一致。銀行やカード会社でさえ、問い合わせに答えてくれない、放ったらかしにされてしまう事に、苛立ちを感じてしまう。   
2人とも留学経験もなくいきなり駐在となったため、逆にアメリカ生活の素晴らしさと華々しさに夢ばかりを描いただけに、現実生活とのギャップを痛感しているといったところだろうか。所詮、世の中はないものねだりの比較社会。 こんな文句言いながら、結局日本に戻ったらあのころはよかった、なんて話するんだろうな、とお互い笑ってしまった。

自分と同じように苦労して、悩んでいる人、それでも頑張っているというのを認識すると非常に刺激になる。
駐在すると、奥さん連中はそれこそ趣味を通じて友達の輪が広がるが、男性はなかなか会社以外の付き合いを広げるのが難しいようである。そんなに日本人世界を広げようとは思わないが、職場以外にこういった場がもてるのはうれしいことと感じた。


久しぶりにビールをたっぷりとトニックを2杯だけ飲んだが、朝は軽い2日酔いでまたもや起きられなかった。酒はどんどん弱くなってきたのは確実だ。日本の接待漬けの生活にはもうとっくに戻れない身体になってしまったかな。


Kyosuke