2011年04月04日(月) |
センバツの話(1)九州国際大付・三好の成長 |
東海大相模の11年ぶり2度目の優勝で幕を閉じたセンバツ甲子園。決勝だけ、甲子園に見に行くことができました。 決勝のマウンドに上がったのは長田竜斗と三好匠。三好は北九州市立大谷中時代から、全国区のピッチャー。『中学野球小僧』でも紹介したことがあります。全中で3位に入ると、福岡選抜のエースとして臨んだ秋のKボールは全国制覇。あの代の右ピッチャーの中では、トップクラスのレベルでした。
全中の準決勝で戦ったのが東海大翔洋中。初回、佐藤大貢に2点タイムリーを打たれ、敗れています。この佐藤が、東海大相模の4番キャッチャー、キャプテン。甲子園の決勝で当たるなんて、何かの縁ですね。ちなみに2点タイムリーといっても、実質はレフトの落球でしたが…。 決勝のあと、佐藤に「三好のこと覚えている?」と聞くと、「よく覚えています!」と話していました。忘れるわけないか。 『流しのブルペンキャッチャー』でも、三好を取り上げています。ぼくも三好に会いたくて、北九州まで取材に同行させてもらいました。恥ずかしそうにハニカミながら、ぼそぼそと喋る三好の姿が懐かしいです。「取材!」ということで、お母さんがビデオカメラを回していました。
いくつもの強豪から誘われましたが、三好が選んだのは自宅から徒歩数分の九州国際大付属。若生監督の熱心さと、キャッチャー高城の存在が大きかったようです。高城が先に決まっていたんですね。
中学時代と比べると、リリースの位置が高くなった印象を受けます。その分、どのボールにも角度がある。成長した姿が嬉しかったです。右方向に大きな当たりが打てるバッティングも相変わらずいい! 恩師の野中俊宏先生も、ほぼ毎試合、ベンチ上で観戦。教え子の成長に喜んでいました。
股関節も随分と柔らかくなりましたね。中学時代は硬くて、硬くて…。若生監督自慢の股関節トレーニングが効いたのでしょう。菊池雄星(花巻東〜西武)にも伝授したとか。
当時の福岡選抜で、右のエースが三好なら、左のエースは大賀健一でした。ストレートの威力は大賀以上。その大賀はいま東福岡で活躍中です。『野球小僧』の名鑑にも、リストアップされていました。夏は、三好に負けていられませんね。
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