夜、鶴見大コーチの香田誉士史さんと取材を兼ねた食事。久しぶりの渋谷に行ってきました。 本当は大学のある鶴見で取材の予定が、「駒大苫小牧の卓球部の監督も一緒でいい?」とのことで、場所を変更。卓球部の仲川明監督が全日本選手権の引率で、東京に来ていました。
香田さんから「ピンポン」と呼ばれていた仲川監督。 「勉強熱心で、本当に面白いやつだから!」と、事前情報を得ていましたが、そのとおりでした。野心にあふれているというか、数時間話しただけでも、勝負にかける情熱が伝わってきました。 香田さんの前で、あんなに熱く、指導論を語る人は初めて見ました。甲子園2連覇の監督ということで、たいていは、質問攻めにあうことが多いのですが。 「ピンポンといると、ピンポンが8しゃべって、おれは2しゃべるぐらいだな。でも、その8が面白いんだよ」 いつも思いますが、周りの考えや意見を受け入れてくれるのが、香田さんのすごいところ。ぼくなんかの話でも、ちゃんと聞いてくれますし。
駒大苫小牧時代、バックアップやカバーリングが有名になりましたが、どのシフトも、香田さんからのトップダウンで生み出されたものではなく、選手と一緒に考えだされたものでした。 年末の愛知トレーニング交歓会でもその話をしていました。 講演会でバックアップの話をしたあと、ある先生が「教えてもらったシフトをそのままマネすることに何の意味もない。選手と話し合ったすえに、シフトが生み出されることに意味がある」と、とても印象深い言葉を残していました。
仲川監督曰く、「香田さんは、練習を何度も止めて、『ちょっと、みんな来てくれ! 分からないことがあったから、みんなで考えて、意見を出し合ってくれないか』と言ってましたよ」。 こんなこと、なかなかできないですよね…。
仲川監督が面白いことを言っていました。 「卓球界で、『ボールを見て打て!』と教えているのは日本ぐらい。ボールを見て打っていたら、相手の動きが分からない」と。 卓球界のことはよくわからないので詳しいことは言えませんが、面白いなぁと。
で、肝心の取材のテーマは、「香田さんが語る斎藤佑樹」。 取材の内容は、『斎藤佑樹100人の証言』(宝島社)に掲載されます。
ちょっと笑えたのは、斎藤と戦った翌年、駒大苫小牧でも通称「ベッカムカプセル」を取り入れたという話。2006年にも使っていたら、勝敗は分からなかったかも?!
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