2011年01月20日(木) |
そのまんまの内竜也&成瀬善久 |
本日はロッテ浦和球場へ。内竜也投手の取材です。 県川崎工業時代の内投手と、ほとんど変わらない素朴な語りと、超プラス思考の発想に、何だか、ひと安心。 有名な話ですが、川崎市立川中島中時代は、バスケ部に所属。「(野球部の)坊主がいやだったから」という、のちのプロ野球選手とは思えぬ理由でした。 野球部に入ったのは中2秋から。体育祭で応援団に駆り出され、「応援団は坊主」という決まりがあったそうです。野球部の坊主はいやだったのに、応援団の坊主はOKだったそうで、あっさりと坊主に。それをきっかけに、野球部に転部しました。
某HPに、「顧問の先生の体罰があったので、野球部に入らなかった」云々…とありますが、それは誤情報ですので!! 当時の顧問・高山裕一先生(現・川崎市立西中原中)が泣いています(笑)。 内投手、今年は1月4日から(5日だったかな)、鹿児島で自主トレを開始。高山先生によれば、「こんなに早く、練習をしているのは今年が初めて。やっと、プロの自覚が出てきたかな」とうれしそう。それまでは、高山先生とゴルフに行ったりしていたとか…。 内投手に言われて、初めて気付きましたが、七十七銀行から千葉ロッテ入りした、小林敦投手が同期になるんですね。横浜高校出身の成瀬善久投手も、もちろん同期。同じ代、それも同じ県のピッチャーが、1チームに3人も集まるなんて、そうそうないことですよね。 昨年末、小山市立第三中にうかがったとき、ちょうど、成瀬投手(小山市立桑中出身)の野球教室が開かれていました。桑中時代の恩師である石原栄範先生(現・小山市立第三中)らと、昼ごはんを一緒に食べましたが、「何でそんなに覚えているの?」と言うぐらい、中学時代の話を細かく教えてくれました。 成瀬投手は中3夏、全中ベスト4。関東大会4試合すべて、0対0の特別延長戦という、疲れる試合をしています(笑)。成瀬投手も打たれませんでしたが、味方打線もまったく打てなかったんですねぇ…。
ご飯を食べながら、昨シーズン(2010年)の被本塁打の話になりました。 「前半戦は多かったですけど、後半は少なくなってますよ!」 結果を調べてみると、本当にそのとおり。後半は、今季から採用する低反発球を使っていたそうで、「いかれたかな…と思う打球が、フェンス前で失速していた」と、興味深いコメント。もしかしたら、リーグ全体のホームラン数が減るかもしれませんね。
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