2008年07月15日(火) |
バスターエンドラン(横浜vs日大藤沢) |
★神奈川大会2回戦 in保土ヶ谷球場 横浜 4010001|7 日藤 0000000|0
2回戦屈指の好カードは思わぬ大差がついた。 試合後、「初回の4点が重かった」と山本秀明監督が振り返ったように、初回で決まってしまった。
日藤、先発の鹿毛東次郎が乱れ、死球、バスターエンドラン(安打)、死球でいきなり無死満塁。すべて初球で、たった3球での無死満塁。時間にしたら、2分ちょっとで起きた展開だった。その後、押し出し四球(1点)、内野ゴロ(1点)、ワイルドピッチ(2点)で4点。
ポイントになったのが、バスターエンドランだった。死球のあとの初球に仕掛けた渡辺元智監督の采配も見事だったが、2番に入った、1年生の大石竜太のバッティングも見事。初めて迎える夏の大会の第1打席で、これ以上ない結果を残した。 大石に聞くと、サインはバスターエンドラン。ただし、打つのはストレートだけ。変化球は見逃して、一塁走者の盗塁が優先となるサインだった。 「ピッチャーとキャッチャーのクセが分かっていましたから」と、涼しげな渡辺監督。けん制のクセや、ウエストをしてこない根拠があったのだろう。
大石の打球は、ショートの定位置だった。しかし、ショートが一塁ランナーの盗塁に対応するために、二塁ベース方向へ動いていた。誰もいなくなったところに、大石は打ち返した。 「日藤のビデオを見て、盗塁のときはショートが二塁ベースに動くのが分かっていました。そこに打つ練習をしていて、あれは狙ったとおりです。自分ではバントだと思っていたので、ちょっとびっくり。でも決められて良かったです」 まだ入学して、4ヶ月の大石。顔は中学生みたいだが、プレースタイルは玄人好み。いきなり、2番ショートで起用される理由がわかる。 大石は7回にもピッチャーとファーストの間に、絶妙なセーフティーバントを決め、7点目のホームを踏んだ。ここでのコメントにも野球センスの高さがみえる。 「セーフティーバントは序盤からやると警戒されるので、大事なところまで取っておこうと思っていました。狙いどおりです」 恐れいりました…。
渡辺監督は「大石がいなければ、こういった試合展開になっていなかった。地味だけど、いい仕事をしてくれた」とベタ褒めだった。
対する日藤は、左バッターが並ぶ横浜打線に対して、インコースを徹底的に攻める狙いが感じ取れたが、実行することができなかった。 打線は、横浜のエース土屋健二の高めストレートに手を出してしまい、攻略できず。7三振はすべて空振りで、そのうち5つが高めのボール球だった。 渡辺監督は、「日大藤沢は軸足のヒザが折れる選手が多く、ローボールヒッター」。高めに弱いことを事前に見抜いていた。
日大藤沢には、大石と湘南クラブ(ボーイズ)でチームメイトだった選手が二人出場していた。小林諭尚が1番セカンドでスタメン、島仲貴寛がキャッチャーで途中出場を果たした。 大石は「めちゃくちゃ意識していました。一昨日、連絡を取って、お互いのチームのことを話して。これからはずっと敵同士。お互い負けずに頑張っていきたい」 当時のエース森大貴は桐光学園に進み、ベンチ入り。湘南クラブ、すごすぎます。
ちなみに、彼らが中3の夏、ジャイアンツカップの決勝で負けたのがジュニアホークス(大阪)。豊富な投手陣の一角を占めていたのが、いま東海大相模にいる一二三慎太だ。1年生ながらベンチ入りを果たしている。 「体もLサイズ(184センチ85キロ))だけど、態度もL級」と門馬敬治監督。投手向きの性格だ。1年生は例年、5月の終わり頃に投げ込みを行うが、唯一ばてなかったのが一二三だったそうだ。 5月の帝京との練習試合では、米持の右手にデッドボールを当てて、門馬監督は顔面真っ青になったそうだが…。さすがにこの試合では動揺を隠せず、「L級」の態度が見られなかったもよう。 7月には佐野日大との練習試合に登板。佐野日大の保護者から、「相模の1年生すごいね。大城よりも大田よりも速かった。144キロぐらい出ていたよ」と電話がかかってきた。 エース大城の調子がやや不安なだけに、一二三の活躍がカギを握るかも。
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