2008年04月26日(土) |
軟式出身投手が活躍すると甲子園?(桐光学園) |
保土ヶ谷球場で行われた春の神奈川大会4回戦を観戦。
桐光 00000304|7 慶応 00000000|0
思わぬ大差がつきました。 桐光はエース番号をつけた鈴木健太郎(3年)が7回参考ながらも、公式戦初完投初完封です。圧巻の2安打ピッチ。 テイクバックで背中の後ろまで、腕が入り込むのが特徴の右腕で、今日のストレートの最速はおそらく132キロ(133?)←ネット裏の偵察隊のスピードガンをチラ見 変化球はスライダー、カーブ、シンカー。特によかったのは、左の外に逃げるシンカー。これで左打者を封じていました。カウントを取りたいとき、スライダーを右打者の内角から曲げてくる芸当も披露。無駄なフォアボールもあり、課題も多いですが、上々の出来といっていいでしょう。
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試合後、控え室から出てきた鈴木。着ていたチームTシャツの左袖には、「秘密兵器」と書かれていました。 「丸山さんにもらったんです。試合の日はこれを着る。自分も秘密兵器なんで」 丸山さんとは、昨夏、チームを夏の甲子園に導いた丸山達也(立大1年)のこと。よ〜く、面倒を見てもらっていたようです。鈴木は、昨秋の背番号11。県内ではほぼ無名の存在。この春、最大の秘密兵器と言ってもいいかもしれません。 中学時代は、もっともっと無名でした。横浜市立あざみ野中の軟式野球部出身です。最後の夏は市大会の3回戦敗退。どの高校からも声がかからず、一般受験で桐光学園に入学しました。理由は、「中3のときに桐光が甲子園に出て、かっこよかったので」。主要5教科の成績はオール5。かなりの頭脳の持ち主です。
ただ、桐光はシニアやボーイズの全日本代表クラスが集まる強豪。まずは、野球部に入れるのかどうかが不安だったそうです。「入学説明会のときに、一般でも野球部に入れると知って、頑張ってみようと。でも、どこまでやれるのか、ついていけるのか、不安でした」。入部当初は力の差に愕然とするも、毎日の練習を必死にこなし、2年の冬を越えて、急成長。エースの座を勝ち取りました。
「目標の投手は?」と聞くと、「丸山さんや石渡さん(2005年に甲子園出場)。二人とも、軟式出身の先輩。励みになっています」 そして、こうも続けました。 「桐光が甲子園に行くときは、軟式のピッチャーが活躍しているジンクスがある。今年は自分の番にしたい」 2002年の清原尚志(相模原市立東林中)、05年の石渡(川崎市立川中島中)、昨夏の丸山(大和市立つきみの中)。不思議と、甲子園に出たときは軟式出身のピッチャーが活躍しています。
この4月、相模原市立内出中から沼田という好投手が入部しました。昨夏の県大会優勝投手です。沼田の名前を出すと、「同じ軟式出身なんで、頑張ってほしい」とエールを送る鈴木。 着実に引き継がれる、桐光・軟式好投手の歴史。「今年は自分の番!」と話す鈴木に注目です。
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敗れた慶応。 試合後の上田監督は、「センバツショックがまだ残ってるなぁ。センバツのあと、こんな試合ばっかだよ…」。 二本柱の一人である田村と、4番の鈴木が故障で欠場とはいえ、秋の強さが影を潜めています。 ポイントは0−0で迎えた6回の守りだったと思います。 2アウト一塁でバッターは3番筒井。初球、一塁ランナーの大石が二盗を決め、2アウト二塁。ここで、慶応ベンチは敬遠策をとり、4番秋山勝負に出ました。正直、「まだ、6回。はやいんじゃないか」と思いましたが、何となくその意図も分かりました。
それまでの2打席、秋山に対する攻めがほぼ同じ。初回の初球の入りで、キャッチャーが中腰で構えた姿を見て、「相当なデータを取っている」と感じました。だから、秋山を抑える自信があったのでしょう。 しかし、この6回は2−3からフォアボール。上田監督は、一つのボールにこだわりすぎたキャッチャーに苦言を呈していました。
そのあと、満塁から、5番奥野が初球スライダーを左中間へ二塁打。スライダーに張っていたとしか思えない振り方でした。これで、桐光3−0。この日の慶応打線の振りからみて、ここで勝負ありでした。
「夏に向けて、大手術が必要」と上田監督。新しい血を入れて、刺激を与えることが予想されます。
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