みのるの「野球日記」
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BBA梅原伸宏さんのグラブ本。構成を担当しました。
親指かけ・小指かけの結び方、グリスの入れ方など、
グラブをよりよくするための方法が書かれています。

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@mino8989 です。

2008年01月18日(金) 青学大・小池翔太

 本日は青学へ。1年春からレギュラーを獲った小池翔太(修徳学園中〜常総学院)の取材でした。取材のテーマは中学時代の話。2003年に北海道で行われた全中の決勝、明徳義塾中vs修徳学園中について、たっぷりと語ってもらいました。
 高校時代は4番キャッチャー、さらに大学で1年春に満塁ホームランを放つなど、打撃も優れた小池ですが、じつは中学時代は8番キャッチャー。「まったく打てなかった」というほどの選手でした。

 全中の決勝。最後のバッターになったのもじつは小池。1点ビハインドの最終回、2アウト満塁の場面で回ってきました。印象深かったのは、カウント1−3から高めのストレートを躊躇なく振ったこと。明徳側は「あれはボールだったかもしれない。ラッキー」と振り返っていましたが、小池は「1−3はバッティングカウント。ストレートだけにしぼって振った。見逃して、悔いは残したくなかった」。
 実際に北海道で見ていましたが、土壇場で1−3、多くのバッターが「押し出し」が頭に浮かぶと思います。でも、当時、中3の選手が思い切りフルスイングできたことが、今でも印象深く残っています。
 監督の小野寺さんは「バッティングカウントで見逃したら交代」という方針で練習試合を行うこともあったそうで、とにかく「振る」ことにこだわっていました。
 小池は、「あそこで打てなかったからこそ、いまがあると思っています」と、良いことを言ってくれました。

 このときの修徳学園中は、磯部(新日本石油)はじめ、レギュラー全員が今でも硬式野球を続けています。法大、日大、青学、横浜商大、桐蔭横浜大などで。これもまたすごいことですよね。

 対する明徳義塾中は、4番を打っていた田中大二郎が巨人へ。バッテリーの伊勢―永松は、関大に進み、早くも試合に出場しています。
「自分たちの代って、軟式のやつらが頑張ってませんか? 負けてられないです」と小池。修徳学園中が出場した関東大会では、斎藤佑樹(生品中〜早実〜早大)、渡辺喜美男(国本中〜文星芸大付〜国学院大)らが活躍していました。

 ちなみについ数日前まで、田中大二郎は同期の円谷とともに、青学で自主トレをやっていたそう。小池も会話を交わしたとか。
「あのときの明徳は、大二郎の印象がかなり強いんですよ。プロに行くと思いましたもん」と、田中大二郎のことを絶賛していました。

 中学で戦った仲間が、大学でもプロでもプレーを続けている。そして、グラウンドで再会できる。何かいいですよねぇ。

 


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