今日は中日・中里篤史投手の取材でナゴヤ球場へ。生まれて初めてのナゴヤ球場! 最寄り駅を降りてから、球場まで歩く道のりはワクワク気分でした。 というのも、ナゴヤ球場は小さい頃憧れていた球場だったんです。親の実家が神戸にあったため、夏休みに新幹線で帰省すると、名古屋駅近くに見えたナゴヤ球場にワクワク。ぼろっちい球場だったんですが、「新幹線から見える球場」というシュチュエーションが嬉しかったんです、たぶん。
今日初めて行ってみて、あんな住宅街にあるとは知りませんでした。周りは家やマンションだらけ(1軍が使っていた時は、違ったのでしょうが)。昔行った、川崎球場を思い出しました。
で、今日びっくりしたのは開門の11時半を前に、何人かのファンがすでに列を作っていたこと!(ファームの中日vs阪神でした) 「中日ファンはさすがに熱い!」と思いましたね、はい。
取材が始まるまでの間、試合を観戦。阪神は若竹、野原、橋本ら若手が出ており、中日では堂上が4番サード、法大出身の西川がびっくりなことにショートをやっていました。守備がうまい印象はさほどないんですが…。たまにファームを見るのも面白いですね。というより、1軍の試合よりも面白いかも!(西武ファンなので、最近の1軍の試合は寂しくて見られません…)
その後、隣接している寮で、中里の取材がスタート。事前に、春日部共栄のチームメイトから「人見知りしますよ」という情報を得ていたので、やや心配も、よ〜く喋っていただきました。無口でクールというイメージを勝手に持っていたんですが、まったく違いましたね。 中里は春日部共栄時代、超高校級と騒がれながらも、2年秋の関東大会では初戦で、筑川利希也のいた東海大相模に1対2のサヨナラ負け、3年夏は県大会決勝で坂元弥太郎の浦和学院にこれまた1対2(延長10回)でサヨナラ負け。一度も甲子園に出られませんでした。
浦学との決勝は「埼玉県球史に残る熱戦」と言われていますが、ぼくとしては相模との関東大会が印象深いです。当時は桐生第一の一場を含めて、筑川、中里で「関東三羽ガラス」と呼ばれていましたっけ(ちなみに拓大紅陵の手嶌(現ロッテ)も同じ代)。その中の2人がいきなり初戦で激突。非常にもったいないカードでした。 中里はいまでも筑川のことが気になるようで、「大学でケガをして、ホンダで投げられるようになって…、新聞で読んでいますよ。今はどうなんですか?」と話していました。プロで中里vs筑川の投げ合いを見てみたいですけどね…。
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