本日は日帰りで兵庫県加古川市まで行ってきました。兵庫県高砂市立松陽中学校、中上雅文監督のお通夜です。46歳。若すぎる、悲しすぎる死でした。 お通夜には約2000人、翌日行われた告別式には約1500人もの方が参列されたそうです。お通夜では松陽中野球部の選手がユニホーム姿で参列しており、その姿がとても印象に残っています。
1年ほど前から、「中上先生が体調を崩されている」という話を聞いていました。今年の夏からは、「体調を崩して、野球部を見ていない」とも耳に挟んでいました。今年の秋頃、人づてに、「中上先生が高砂に遊びにきてよ、と言っていたよ」と聞いてはいたのですが、結局、行けずじまい。悔いばかりが残っています…。 その後、聞いた話によれば、数年ほど前から病気と闘っていたそうです。これまで、松陽中には3度足を運び、金沢交歓会や高砂交歓会でも何度もお話させてもらいましたが、一切感じませんでした…。
中上先生は中学軟式野球王国・高砂を引っ張る代表的な指導者で、92年には全中優勝、97年には全日本準優勝を果たしています。「中学野球を盛り上げたい」と、地元高砂で交歓会を企画・運営し、県外から数々の強豪が高砂の地に集まっていました。ぼくも昨年、初めて高砂交歓会に参加し、その熱気に圧倒されました。
外見はヒゲをはやしていて、非常に怖い感じですが、取材に行くと、いつも丁寧に受け答えをしてくださり、性格はとても繊細。そんな印象があります。お酒、タバコは大好きでもありましたが…。そして、非常によく食べ、取材に行くたびにその食べる量、飲む量に驚きました。
バッティングが大好きだった中上先生。守り重視の中学野球を、「打ち勝つ」方向に持っていったのが中上先生でした。特に近畿地区でその影響力は大きく、中学軟式野球の進むべき道を作った指導者といっても過言ではないでしょう。 これから、中上先生が作る強打線を見られないことが残念でなりません。
中上先生のご冥福をお祈りいたします。そして、中学野球の奥深さを教えていただき、本当にどうもありがとうございました。
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