2005年01月31日(月) |
祝! 慶應義塾45年ぶりセンバツ出場決定! |
14時50分。慶應義塾高校の校長室に向かうと、すでに各局、各紙の報道陣でごった返していた。余裕で30人は超えている。なんじゃ、こりゃ…。 校長室の外で上田監督とすれ違った。 「すごい人だな。これで選ばれなかったら、どうするのよ」 同感。関東大会の戦いぶりからして、「慶應で間違いない」という声が聞かれていたが、「蓋を開けてビックリ!」の選考が過去に何度もあった。
15時。報道陣がカメラを構えだす。校長室にある電話を机の中央に移動し、テレビ映りを確認。 あのぁ…、もう選ばれることが決まっているんでしょうか…。ほんとにそんな雰囲気だった。
15時15分。県高野連委員長と、慶應義塾の山田校長が登場。高野連からこんな説明が。 「もし選ばれた場合は、大阪の毎日新聞から学校に電話があります。その際は、学校側から神奈川高野連に確認の電話を入れ、そこで県高野連にも『慶應が選ばれている』という連絡が入っている場合、正式にセンバツ出場となります」 かつて、もう10年以上前だろうか。選考日当日、当落選上の学校に高野連を装ったいたずら電話がかかってきたことがあった。それを防ぐためだという。 段取りはバッチリ。あとは電話を待つのみ! 「何時ぐらいになりますかね?」 報道陣が高野連に質問をすると、 「多分、15時半過ぎ。遅い場合は16時頃だと思いますよ」 そんな言葉を聞いたものだから、校長室はちょっぴり緩んだ空気に。校長も校長室をあとにし、別室に待機。
すると…、15時22分。主のいない校長室の電話がなり始める。 「オイオイ、電話なってるぞ。校長いないのに」 報道陣が呟く。コールを聞いて、慌てて校長室に入ってきた校長。6コール目に受話器をとるが、電話が切れてしまう。
それから1分間。電話がなし。いまの電話は何だったんだ…。
15時24分。再び電話が鳴る。校長先生、今度は準備万端。満を持して、電話をとると、みるみる笑顔になる。「ありがとうございます」という言葉が何度も聞こえてくる。 電話を切ったあとは、集まった報道陣から祝福の拍手。慶應義塾の45年ぶりのセンバツ甲子園出場が決まった。ちょっと涙ぐんでいる記者もいた。間違いなく、慶應のOBでしょう!
校長室の外に出ると、赤松副部長が食堂で待機していた選手のもとへ、吉報を伝えにいく姿が。外で待っていた生徒も、吉報に気づき、大喜び。野球部も、グラウンドに出てきて、みんな笑顔笑顔。泣いている選手はいなかった。
ここからはマスコミ用(?)の胴上げや喜び爆発のポーズなど。永遠続くカメラマンのリクエストにこの日だけは(?)嫌な顔をせず、応えていました。その後、インタビュー開始。
エース中林。 「昨日は3時間しか眠れなかった。授業も全然集中できなくて。ほんとに選ばれて良かった! 甲子園では全国制覇を狙います」 主将漆畑。 「甲子園で慶應の野球を見せたい。県大会と同じように、強豪をなぎ倒していきたいです」 漆畑は兄弟で甲子園出場。おめでとう!
慶應の野球に惹かれたのは2002年の夏の県大会だった。鎌倉学園に6−1で勝った試合だ(詳しくは2002年7月の日記参照)。慶應野球部の雰囲気、上田監督の人柄、試合運びに魅了された。それから2年半。まさか、甲子園に選ばれる日がくるとは…。 慶應野球を甲子園でも思う存分見せてください! 上田監督、七條部長、赤松副部長、学生コーチのみなさん、そして選手のみなさん、センバツ出場おめでとうございます! <選考当日の写真> http://album.nikon-image.com/nk/NAlbumTop.asp?key=510706&un=51808&m=0 (パスワード keio)
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