みのるの「野球日記」
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2004年11月04日(木) 慶應義塾ベスト8で散る

■11月3日 秋季関東大会準々決勝 in緑ヶ丘
浦和学院 000 003 100 000 00|4
慶應義塾 001 012 000 000 00|4

■11月4日 秋季関東大会準々決勝 in小瀬
慶應義塾 000 000 000|0
浦和学院 001 210 02×|6

 試合終了後の挨拶を終えると、慶應義塾の主将・漆畑哲也はスッと前に歩を進め、浦和学院の主将・今成亮太に笑顔で右手を差し出した。
「優勝目指して頑張ってくれ」
 越谷シニア出身の漆畑と、富士見シニア出身の今成。中学時代は何度も対戦があったという。今成は浦学へ、そして漆畑は埼玉を出て、慶應に進んだ。
「浦学にも誘われたんですけど、慶應の雰囲気が好きだった。この雰囲気で甲子園に出たい」
 全員五分刈の浦学に、髪の長さは自由の慶應。汗と根性をイメージさせる浦学に、華やかなイメージのある慶應。漆畑自身も「対照的」と語る両チームである。
「関東大会で浦学とやることが信じられなかった。自分が行くことも考えた浦学と、まさか関東大会で当たるとは…」
 漆畑には2つ上の兄がいる。兄は浦和学院で野球をやり、須永(日本ハム)の代で主将を務め、甲子園にも出場した。当時中学生だった漆畑は甲子園にも応援にいったという。
「自分がアルプスで応援していた浦学と、センバツをかけた一戦をしている。何と言っていいんですかね…ほんと何とも言えない気持ちでした」

 再試合となった3日の試合。漆畑は「楽しかった」と振り返った。甲子園の常連・浦学に対して一歩も引かない見事な戦いぶりを見せた。
 完敗となった今日の試合。浦学は高い壁だった? と聞くと、「そんなことはないです」と首を振った。「追いつけるところに浦学はいた。ただ、ひとつ浦学と差があったのはあの場面…。気持ちを切り替えることができなかった」

 漆畑が語る場面は4回裏、無死一塁。浦学の4番前野が一塁側への送りバントを見せた。マウンドを下りた中林が一塁へ投げようとすると、ベースカバーに入るはずのセカンド高尾がベースにおらず、一塁ベースはがら空き。記録は内野安打となり、無死一二塁とピンチが拡大してしまった。
 高尾はベースカバーに遅れたのではなく、ベースに入る手前で一塁塁審と衝突していた。ベースに入る走路に塁審が入ってしまい、行く手を塞がれた。中林は「(衝突していて)びっくりした」、漆畑は「かなり動揺しました」と振り返る。上田監督は「審判は石だから抗議はできない。しょうがない…」と悔しさを押し殺した。
 無死一、二塁となったあと送りバント、一塁ゴロ、ショート漆畑のエラーと続き、この回2失点。「塁審との衝突」から緊張の糸が切れたように、慶應はそのままずるずると浦学ペースに引き込まれていき、それを最後まで引き戻すことはできなかった。
「塁審と交錯した瞬間から、明らかにチームのリズムがおかしくなり、取り戻せなかった。でもそこで、浦学だったら冷静に対応できたと思う。そこが、浦学との差だった」
 大粒の涙を流す中林とは対照的に、漆畑は淡々とゲームを振り返っていた。

 もし、漆畑が浦学を選んでいたらどうなっていたのだろうか。慶應に来るよりも、簡単に甲子園に出られるチャンスがあったかもしれない。そんな質問を投げかけると、「浦学で甲子園に出るよりも、慶應で出たほうが嬉しい。もう何十年も出ていない学校で、自分たちの力で甲子園に出る。慶應が浦学に勝って甲子園を決めるなんて、革命ですよ」。
 革命はあと一歩のところで起こせなかった。3日の試合ではサヨナラ勝ちのチャンスが何度もあった。でもそこで勝てなかったのがいまの慶應の実力。そして浦学の強さといえる。

 慶應は来週火曜日から試験が始まる。明日ミーティングをしたあとは、しばらく野球部もテスト休みに入る。漆畑も実家のある埼玉から、片道2時間かけて通う日常に戻る。大変なことは受験する前から分かっていた。それでも、野球だけではなく勉強もやりたいと慶應を志望した。
「結果は残念だったけど、浦学と互角の試合ができて、慶應の野球をアピールできたと思う。胸を張って埼玉に帰りたい」
 延長戦に入った昨日の試合。漆畑は同じく埼玉から来た谷地俊太郎のもとに何度も歩み寄っていた。谷地が打席に入る際には「埼玉には負けられないぞ」と声をかけていたという。埼玉を出て、慶應で勝負すると決めたふたりにだからこそ通じ合える想いがあったのだろう。
 
 慶應はこの敗戦により、センバツ出場に黄信号が灯った。けれども絶望的となったわけではない。関東5校目にすべりこむ可能性は十分ある。
「甲子園に行けると思って練習をするしかない」
「選んでもらったときに万全の状態で出られるよう、最高の準備をしておく」
「負けたのは悔しい。でもこれで終わりではない」
「いろいろ考えてもしょうがない。吉報を待ちます」
 選手、スタッフからはさまざまな声が聞こえてくる。
  
 エース中林は大粒の涙を流しながら言った。
「冬場に徹底的に走りこんで基礎から鍛えなおす。春も夏もすべて自分が投げきれる体力をつけたい」
 今夏、桐蔭学園に敗れ大泣きした中林。この日も取材を受けながら、延々悔し涙を流していた。ただ、中林は泣いた分だけ、必ず大きくなってマウンドに帰ってきた。今日流した涙が、中林をどれだけ成長させるのだろうか。

 センバツ出場校の発表は来年1月末日――。


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