2004年07月11日(日) |
『古豪復活』(慶応義塾vs湘南) |
◆神奈川大会1回戦 保土ヶ谷球場
湘南 0000000|0 慶応 011115/|9
試合後、ベンチ裏の控え通路に姿を見せた慶応義塾の上田誠監督は安堵の表情を見せていた。 「いやぁ〜、硬かった。公式戦で勝ってなかったから、勝つ味を忘れていた。校歌の歌い方も分からなくて、オドオドしてて…(*校歌を歌い終えたあと、グラウンドへの挨拶が揃わず)。スクイズもエンドランもことごとく失敗したけど、まぁ、最初だからこんなもんかな」 慶応は昨夏の初戦で日大高に、まさかのコールド負け。昨秋、今春はクジ運に恵まれず、初戦で桐蔭学園と激突し、連敗。秋、春のブロック大会を除けば、公式戦では1年以上勝っていなかった。
今大会も直前の練習試合で絶不調。黒星が続き、「これだけ悪い状態で夏に臨むのは珍しい」(上田監督)というほど、深刻な状態だった。特に厳しい状態だったのが、2年生エースの中林。夏の開幕1週間前に行われた修徳高校(東京)との練習試合で先発するも、集中打を浴び大量失点。本来のピッチングとは程遠いデキだった。 原因は6月に左肩を痛めたことにあった。「投げ込みができずに、自分のフォームを忘れてしまった」(上田監督)。修徳との練習試合を見て、真っ先に感じたのは、一番良かった昨秋と比べ、腕の出る位置が上がったこと(本来はスリークォーター)。無理に上から投げよう投げようとして、非常にギクシャクしたフォームになっていた。
上田監督も「腕の位置」については違和感を覚えていて、修徳との試合後、早速修正。「サイドスローで投げる気持ちでシャドウピッチングをしてみな」と中林に指示を出した。その言葉に応じ、シャドウピッチングをする中林だが…、これが面白いもので、「サイドで投げてるつもりなんですけど」と言いながら、腕の位置はスリークォーターよりちょっと上。頭で考えていることと、体の反応がズレているのか…。 それでも、何回かシャドウをこなしていくうちに、本来の中林に近い腕の振り、腕の位置が蘇ってきた。「それ! 今のいいよ!」と上田監督が声をかけると、「さっきより腕が振れてる感じがします」と表情が晴れる中林。「まだあと1週間あるから、シャドウやっておくこと」と上田監督からの指示が出され、その日の練習は終了した。
それから、8日後の湘南戦。中林は7回無失点のピッチングを見せた。4安打、9三振、1四球の投球内容。中林は「変化球は入らないし、ストレートも全然走ってない…。よく耐えられたと思います。いい状態の3割か5割くらいしか、力を出せませんでした」と冴えない表情。だが、自身のフォームについて訊くと、「3日くらい前に、やっとコツを掴んで、何とか大会に間に合いました」と笑顔を浮かべた。 この日の中林はストレートとチェンジアップを中心に攻めた。桐蔭学園戦では緩いカーブも多く投げていたように思うが、今日はかなり少なめ。「相手が右狙いをしていたのが分かったので、遅い球よりもストレート。とくに内角のストレートが効くんじゃないかと思いました」。その言葉どおり、右打者の内角にストレートをコントロールよく投げ、湘南打線を封じた。 そして、最も切れていたのが右打者の外へのチェンジアップ。「あんなに切れていたのは1年ぶりくらいかな」と監督が話すほど、抜群のキレ。スタンドで見ていて、スクリューボールかシンカーか見間違うほど、落差のあるチェンジアップだった。 ただ、昨秋、桐蔭学園を2失点に抑えたときと比べると、やはりまだまだ。もっと滑らかなフォームで、腕もムチのようにしなっていた。それは「3割か5割くらい」と話す本人が一番分かっていること。白星という結果が中林をどう変えるか。 春、桐蔭学園に敗れたあと、「ストレートの球速をアップさせて、もう一度桐蔭と戦いたい。今度こそ勝ちます」とリベンジを誓っていた。その桐蔭学園とは、互いにあと2つ勝てば三たびの対戦が濃厚である。 リベンジに燃える中林のグローブには『古豪復活』と縫い付けられている。昭和37年以来遠ざかる夏の甲子園へ。エース中林の完全復活が欠かせない。
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