2004年04月27日(火) |
因縁対決(2)横浜vs桐光学園 |
29日に行なわれる注目の対決。遊学館vs星稜に続いては、横浜vs桐光学園。過去の公式戦対決は横浜が7勝1敗と大きくリード。特に過去3回の対決は、98・00・01年と夏の県大会決勝で対決。いずれも横浜が勝利し、夏の甲子園切符を掴んでいる。
<桐光から見た、対横浜> 01 夏 決勝 ●7−10 00 夏 決勝 ●3−5 98 夏 決勝 ●3−14 96 秋 4回戦 ●1−9 92 夏 4回戦 ●2−5 84 夏 5回戦 ○5−2 80 秋 2回戦 ●0−11 80 夏 3回戦 ●0−12
記録を見ると、意外なことに春季大会では初対決だと分かる。 両校はすでに夏の第二シード以上を確定。29日の試合は、夏とは違い「絶対に」勝たなくてはいけない試合ではない。夏を見据えて、横浜・涌井、桐光・山室の両エースを温存してくる可能性もある。ただ、両校とも昨秋は不本意な成績で終わっている。チームに勝ち癖、自信をつけるためには「勝ちたい」試合といえる。 先週の4回戦終了後、東海大相模の門馬監督は「どんな試合展開でも勝ったら絶対に選手の力になる」と話していた。高校生にとって、ひとつの勝利はとてつもなく大きい。特に、対横浜に勝つ、対桐光に勝つことは夏の大会にも大きく影響してくる。
「因縁の対決」と書いたが、正直、横浜高校からしたら、それほどの意識はないと思う。過去の対戦成績では大きくリード。「桐光には負けるはずがない」、首脳陣はそう思っているかもしれない。 桐光の場合は違う。桐光は夏の決勝で横浜に敗れ続け、その敗戦を糧に神奈川を代表する強豪にまで上り詰めてきたからだ。84年秋以来、20年ぶりの勝利をどうしても掴みたい相手である。
98年、夏の決勝。横浜のエースはあの松坂だった。のちに春夏連覇を達成し、「史上最強」とも言われる横浜に対し、桐光は3−14と大敗した。 野呂監督は「ショックというよりも、これからやるべきことが分かった」と、98年の決勝を見ている。「体の大きさが横浜とは違う。パワーにしてもスピードにしても、劣っている部分が多すぎた」。 横浜に追い付くため、98年秋から、チームは専属トレーナーを雇い、体の強化に力を入れた。今でもトレーニングは続き、週1回は体作りの日に充てられている。
00年の決勝は、意識を変えさせられる敗戦だった。体の大きさでは、横浜に見劣りしないほどになっていた。桐光の名も県内に売れ、有望選手が入部するようになった。 試合も中盤まで桐光のペース。そのまま押し切るかと思えたが、7回表に集中打を浴び、逆転負け。「試合巧者」という言葉がピタリと似合うような横浜の戦いぶりだった。
のちに野呂監督は敗戦をこう振り返っている。 「甲子園に出たいと思ってやってきたが、それではいくらやっても神奈川を勝ち抜くことはできない。ほかのチームは全国制覇を目標に取り組んでいる。全国制覇を本気で目指さなければ、神奈川を勝ち抜けないと思いました」 ほかのチームとは、言うまでもなく、横浜・桐蔭学園・東海大相模といった過去に全国制覇の経験を持つチームだ。こららのチームにいかに勝つか…。「全国で勝つ」という意識をチームに植え付けていった。その結果、01年センバツ出場、02年夏の甲子園出場と、全国舞台に足を踏み入れることができたといえる。
桐光学園は上記の2度しか甲子園出場がない。しかも、ともに横浜と戦わずして掴んだ出場権。県内のファンからは「横浜に勝たなければ、桐光の強さは認められない」といった声も聞かれるほど、横浜高校の名前は大きなものだ。
20年前、唯一横浜に勝利した84年は野呂監督就任1年目のときだった。法政二、横浜ら強豪を連破し、ベスト8まで進んだ。「嬉しさよりも、優勝まであと3つもあるのかと思いましたよ」と野呂監督は話す。神奈川を勝ち抜くことの大変さを、就任1年目から実感した。
先週の土曜日、ほぼ完璧な試合運びで勝利した、対桐蔭学園戦。じつは桐蔭に勝ったのは、創部以来初のことだった。過去5戦ですべて黒星を喫していた桐蔭に、走攻守で完全に上回り完勝。
<桐蔭> 01 秋 準決勝 ●3−10 96 夏 3回戦 ●6−11 91 夏 準々決勝 ●4−5 91 春 準々決勝 ●4−8 90 春 準々決勝 ●3−5
29日、桐蔭に続き横浜に勝利すれば、神奈川の「強豪」として県内の高校野球ファンから認められるかもしれない。 全国制覇を実現するために、超えなくてはいけない横浜高校の壁。どのような戦いになるか、注目の一戦だ。
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