みのるの「野球日記」
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2004年04月25日(日) 因縁対決(1)遊学館vs星稜

 4月29日、みどりの日(ちなみに前日はワタクシの誕生日)。祝日のこの日、全国各地で高校野球春季大会が行なわれる。その中でも個人的に注目する対決がふたつ。ひとつは石川県大会の3回戦、遊学館vs星稜。そしてもうひとつは神奈川県大会準々決勝、桐光学園vs横浜である。
 
 まずは遊学館vs星稜。
 両校の公式戦での対決は01年秋の準決勝以来、2度目のこと。その時は遊学館が7−0で圧勝し、初の北信越大会出場権を獲得。当時の遊学館は創部1年目オール1年生の布陣。その若いチームが甲子園の常連・星稜に圧勝。「遊学館」の名を県内に大きくアピールした試合だった。
 敗れた星稜としては屈辱的な敗戦。長い間、石川の高校野球界をリードしてきた学校が創部1年目の新興勢力にいいところなく完敗。奇しくも、星稜はこの敗戦を境に、凋落の一途を辿っていくことになった。
 
<星稜>
03秋 2回戦敗退(●1−8小松市立)
03夏 2回戦敗退(●5−8金沢)
03春 3回戦敗退(●2−3金沢市工)
02秋 ベスト8(●5−7羽咋工)
02夏 ベスト8(●4−10小松市立)
02春 ベスト4(●0−11金沢)
01秋 ベスト4(●0−7遊学館)
01夏 準優勝(●6−17金沢)
01春 準優勝(●3−4金沢)      北信越初戦敗退(●3−4長野商)

 01春は遊学館が石川県高野連に加盟した時期。それから今年で4年が経とうとしているが、結果を見れば分かる通り、遊学館の登場と星稜の凋落が見事なまでに重なっている。

<遊学館>
03秋 準優勝(●8−9金沢)    北信越ベスト4(●1−8福井)
03夏 準優勝(●1−5金沢)   
03春 優勝(○11−0金沢西)   北信越準優勝(●1−4福井)
02秋 準優勝(●3−4小松市立)  北信越優勝(○10−3福井商)
02夏 優勝(○11−6金沢)     甲子園ベスト8
02春 優勝(○6−5金沢)      北信越ベスト4(●0−3足羽)
01秋 優勝(○11−4金沢)     北信越ベスト8(●3−10松商学園)
01夏 ベスト4(●1−5金沢)
01春 2回戦敗退(●3−4鶴来)
 
 遊学館は01秋から県内の大会では7大会連続で決勝進出。対する星稜は01秋から7大会連続で決勝に進めていない。結果が示すとおり、01年秋の準決勝は、その後の遊学館と星稜の地位を決める大事な一戦だったといえる。それ以来の再戦、注目度は高い。


 遊学館をここまでのチームに作り上げたのは、創部以来指揮を執る山本雅弘先生の存在が大きい。かつては星稜中野球部を率い、3度の中学日本一を経験。その手腕を買われ、00年秋から遊学館野球部の監督に就任した。率いていた星稜中からは野球部創部にあわせ、門前歩(現東海大)、藤原逸平(上武大)ら主力が山本先生を慕い入部。野球部の伝統を山本先生とともに築きあげた。

 今年のチームを見ても、中山健蔵、和田竜太(ともに3年)、鈴木将光、曽根瑛二(ともに2年)ら、星稜中で活躍した選手がレギュラーとしてプレーしている。もし、山本先生が星稜中で続けていれば、彼らはほぼ間違いなく星稜高に進学していた。となれば、星稜のここまでの凋落はなかったと思われる。遊学館に野球部が創られたこと、そしてそこに山本先生が監督として就任したこと。このふたつのことで、石川の高校野球界はガラリと変わった。

 中山、和田らが星稜中2年だったとき、星稜中は全中準優勝を果たしている。チームを率いていたのは全中での最後の指揮となった山本先生。このときエース番号をつけていたのが、2年生の山本達也。彼はそのまま星稜高に進み、現在はエースとして活躍している。星稜には2年生左腕の林、4番を打つ鹿野大地とほかにふたりの投手がいるので、遊学館戦での登板があるかは微妙だが、山本の登板があれば面白い。恩師ともいえる山本先生の前でどんなピッチングを見せるのか、そして教え子のピッチングをどう攻略していくのか。また中山、和田、そして山本は当時のチームメイト。どんな対決となるのか、興味は尽きない。

 山本先生が遊学館に移ったあと、星稜中の監督に就任したのが田中辰治先生。田中先生も星稜中野球部の卒業生で、現役時代は山本先生の教えを受けた。山本省吾(現近鉄)とバッテリーを組み、全中ベスト4。星稜高進学後は、マネージャーとして夏の甲子園準優勝に輝いている。
 遊学館の鈴木、曽根、そして星稜の片岡(いずれも2年生)ら星稜中出身の現高校2年生は、中学1年の半年間、山本先生の指導を、残り2年間は田中先生に教わった。鈴木らの代は、全日本少年でベスト4。片岡がエース、鈴木が4番、曽根がファースト(兼控え投手)という布陣であった。彼らのプレーぶりにも注目が集まる。

 星稜高の夏の甲子園準優勝。マネージャーとしてチームを支えたのが田中先生であれば、核弾頭としてチームを引っ張ったのが1番を打っていた中川光雄選手。現在は遊学館の教諭となり、野球部のコーチも務めている。準優勝メンバーが、星稜中の監督に、そして遊学館のコーチへ。こんなところからも、因縁を感じずにはいられない。

 なお、曽根とともに遊学館の投手陣を支える旅将平は氷見北部中(富山)で北信越を制し、全中に出場しているが、このときの正捕手が小笹拓。彼は星稜に入学し、現在は正捕手の座を掴んでいる。星稜中が絡んだ因縁対決とともに、氷見北部中のチームメイト同士の対決もみられそうだ。

 低迷続く星稜も指をくわえて見ているわけにはいかない。今年から、社会人で指導経験のあるコーチを招聘し、指導スタッフを充実させた。新1年生も有望選手が多数入部、星稜中からも今年は主力選手が揃って入部した。遊学館には負けられないというプライドがひしひしと伝わってくる。

 両校の公式戦での対決は01年秋以来と書いたが、じつは02年秋にも対戦している。「1年生大会」という大会でその名の通り、1年生だけによるトーナメントだ。両校は決勝で対戦、星稜が6対5で遊学館を下し、優勝を遂げた。このときのメンバーは現在3年生。出場した選手のほとんどが、主力選手として成長している。

 様々な因縁が絡んだ注目の遊学館vs星稜は29日、石川県立野球場で行なわれる。


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