みのるの「野球日記」
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2004年04月08日(木) 桐朋・林祥央

 神宮第二球場で春季東京都大会の3回戦、日大三対桐朋が行なわれた。両校は昨秋の2回戦でも当たり、桐朋が7−0の7回コールド勝ちを収めている。夏の優勝校・日大三がコールドで敗れるという「大波乱」を進学校の桐朋が演じた。桐朋はこの勝利がもとで、関東地区の21世紀枠候補校に選出され、一躍、マスコミ注目の高校となった。
 大波乱を演じた主役は桐朋のエース林祥央。130キロ中盤のストレートとスライダーで日大三打線を完封。もともと、「好投手」として注目を集めていたが、三高を封じたことで一気に株が上がった。
 今日の試合は秋の再戦。日大三としては、再び桐朋に負けることは許されない。何としても林を打ち崩す! そんな意気込みで試合に臨んだ。

 だが…、蓋を開けてびっくり。桐朋の先発はエース林ではなく、背番号20を着けた2年生の居村裕平。181センチの長身から角度のある球を投げてはいたが、いかんせん制球が悪すぎた…。3回、ふたつの四球でランナーをためると、日大三の4番佐々木大輔にレフトスタンドへ3ランホームランを浴び、降板。背番号10の鈴木優太郎に代わった。
 
 ホームランを打たれたあと、林が三塁側ブルペンで軽いキャッチボールを始めた。鈴木のあとに投げるのかな、と思いながら眺めていた。5回に入ると、捕手を座らせて、ビュンビュン放りはじめた。だが、ストレートは高く、変化球もすっぽぬけを連発。本人は何度もクビをかしげていた。。

 試合の方は、桐朋の投手が全くストライクが入らない…。代わった鈴木は4回を何とかゼロに抑えるが、5回に四死球でピンチを作り交替。ここで出てきたのが背番号11の谷口誠。この時点で、今日の林の登板はないなと思った。谷口は5回6回に7点を失い、10−0でコールドゲームが成立。桐朋は登板した3投手が14四死球と大乱調だった。
 
 試合後、桐朋の田中隆文監督に投手起用について訊くと「今日は最初から3人の継投で行く予定でした」とコメント。桐朋は初戦の岩倉戦で林が9回4失点完投。その時点で、「三高戦は投げさせない」と決めていたそうだ。「3人の投手にはいい経験になったと思う。夏に生かして欲しい」。夏は林ひとりでは上までは勝ち抜けない。どこかで公式戦の経験を積ませたかったのだろう。

 林本人は「冬が明けてから、テイクバックを小さくしようとしたら、本来の自分の腕の振りができなくなってしまって…いま元に戻している段階です」と苦悩の表情を浮かべていた。もともと制球に不安があり、その制球を安定させるためにテイクバックを小さくしたという。が、それが逆効果。腕の振りが鈍くなり、スピードも落ちた。「今は中間点」、林はそんな表現を盛んにしていた。

 21世紀枠に選ばれなかったセンバツはどう見ていたのか。林は「さすがに何日かは凹みました」。田中監督は「それでも私より選手の方が切り替えが早かったですよ」。
 21世紀枠…以前から思っていたが選ばれれば天国、落ちれば地獄。目前まで見えていた甲子園が、何事もなかったかのように消える。しかも、桐朋の場合、マスコミからの注目度がかなり高かった。高校生のこと、「選ばれるんじゃないか」という気持ちは強かったはずだ。

 選ばれなかったセンバツ。林は抵抗を感じながらも、テレビを点けたという。
 「開幕日と決勝戦は見て…」と林。どう思った? と訊くと、「そう遠くはないと思った」と返答。正直、ちょっと意外な答えだった。
 21世紀枠候補校に選ばれ、初めてリアルに感じた甲子園。林は中学まで「甲子園なんて全く興味がなかった」というほどだ。高校に入ってからも、そこまで甲子園に固執していない。それが、昨秋、目前に迫ったことで林自身に意識の変化が見られた。
 第三シードで臨む夏の西東京大会まであと3ヶ月。この3ヶ月でどれだけ自分を追い込めるか…3ヵ月後に成長を遂げた林を見てみたい。



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