2004年03月04日(木) |
筑川利希也、復活への手応え |
先日、筑川利希也投手の取材で東海大の三保キャンプへ。思えば、スポーツライターを目指し、最初に本格的な取材をしたのが筑川だった。それは筑川が高校3年の夏のこと。あれから約4年も経ったのかと思うと、不思議な感じがする。そして、「仕事」として筑川を取材できるようになったことも感慨深い。
筑川は大学2年の夏に右ヒジを手術した。右手首の靭帯を右ヒジに移植。1ヶ月間、右ヒジは全くいうことが利かず、食事をとるのも顔を洗うのも左手で行った。手術をしたあとは、「不安と期待」が交互に訪れたという。ヒジの状態がいい日もあれば、悪い日もある。「もう投げられないんじゃないか」と思うときもあったと話す。
取材に訪れた日、筑川はブルペンに入った。手術後、ブルペンで投げるようになったのはこのキャンプから。まだ捕手を座らせて行う段階だが、一球一球丁寧に、時折笑顔を交えながら投げていた。「今日は一番腕が振れてるな〜」とピッチング練習の際、独り言のように呟いていた。その通り、投げ込まれるボールは、伸びのあるものだった。 30球を過ぎた頃、「カーブ投げるよ〜」とキャッチャーに指示。3球ほどカーブを続けたあと、隣で投げていた渡辺裕之に「カーブの投げ方忘れちゃったよ。どうやって投げるんだっけ?」と冗談交じりに話していた。術後、カーブを投げたのはこの日が始めてだそうだ。ゆっくりではあるが、順調に回復している。 筑川はいう。 「何かをやり残して終わって、後悔したくない。やってダメだった方が、あきらめがつく。自分はそのレベルまでの選手だったんだって。これもやっておけば良かった、あれもやっておけば良かった、って言いたくないんです」
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