2004年01月14日(水) |
ランナー三塁エンドラン(1) |
軟式野球には独特の作戦がいくつかある。その代表的なものが「ランナー三塁エンドラン」だ。ノーアウト、あるいは1アウトで三塁に走者がいるとき、エンドランを仕掛ける。もちろん空振りしたら、失敗の確率は高い。だが、硬式野球ほど、鋭い変化球がないので、そうそう空振りするケースはない。また、軟球は硬球と違いバウンドが大きく弾むため、内野に転がせば高い確率で成功する。中学野球でもこの作戦はもちろん使われている。地区大会でも全国大会でも、多くのチームが当たり前のように使う。
では、中学野球において、「三塁エンドラン」を最初に取り入れたのはどの先生なのか(じつは、いま一番興味を持っていることなんです)。 全国大会で最も早く使ったのは、当時大沢中の佐相眞澄先生(現東林中)だと言われている。1992年に行われた第9回全日本少年軟式野球大会(以下全日本)に開催地・神奈川代表として出場した大沢中は、のちに桐蔭学園で甲子園に出場した石野(現日石三菱)らの活躍でベスト4入りを果たした。大沢中の活躍を伝える当時の神奈川新聞を読むと、「ランナー三塁エンドラン」について驚きをもって書かれている。 スクイズ警戒で前進守備をする内野手をあざ笑うかのように、打球は頭上を越えた。加えて、全日本の会場は横浜スタジアム。「軟球と人工芝」という弾むにはこれ以上ない環境も手伝って、エンドランがはまりにはまった。
現在、横浜市中体連の野球専門部長を務める榎屋剛先生(鶴ヶ峰中)は大会役員ということもあり長い間、全日本を見続けている。昨年は横浜市の選抜チーム・横浜クラブの監督も務め、準決勝にまで進んだ。その榎屋先生も「全日本で最初に三塁エンドランをやったのは、大沢中のときの佐相先生だと思うよ」と話す。生で大会を見てきた先生だけに説得力がある。
佐相先生に聞いても、「全国大会で最初にやったのは自分」と自信ありげに話す。では、佐相先生はこの作戦をどこから取り入れてきたのだろうか。
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