みのるの「野球日記」
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2004年01月16日(金) ランナー三塁エンドラン(2)

 佐相先生は大沢中に赴任した頃(1980年代後半)、知り合いからこんな話を聞いたという。
「川崎市水道局の軟式野球部が三塁エンドランをやっていたよ」
 川崎市水道局は神奈川では強豪チームのひとつ。その話を聞き、は「三塁エンドラン」への取り組みを始めた。もともと、スクイズが好きではなかった佐相先生は「打つことで点が入るエンドランの方が、子どもたちも面白いだろう」と考え、取り入れることを決めた。
 結果、大沢中で全国ベスト4に入り、東林中でも全国レベルの強豪チームを作るまでになった。ランナーが三塁に行くと、すでに佐相先生の作戦を熟知している相手チームの先生は、バッテリーに一球一球サインを送る。このベンチ同士の駆け引きが非常に面白い。

 92年大沢中が全日本でベスト4に入ったとき、私も中学3年生で横浜市の港南台第一中で野球をやっていた。大沢中が優勝した春の神奈川大会には、うちの中学も出場しており、決勝まで行けば佐相先生と対決するチャンスがあった。まぁ、初戦で負けてしまったが。といっても、その頃は佐相先生も大沢中も知らず…どこが強いかすらも分からなかった。
 そんな我が中学も、じつは三塁エンドランをやっていた。失敗はほとんどなかったように思う。私が中学1年のとき(1990年)、岡田充先生という方が新しく野球部の監督につき、その先生が三塁エンドランを得意の作戦としていた。そのため、中学野球にデビューしたときに、すでに三塁エンドランを当たり前のように教えられた。スクイズはほとんど使わなかったように記憶しているが、このサインを出されると、どのサインよりも緊張した。何せ、自分が空振りしたら、三塁ランナーはほぼ100%の確率でアウトになる。だから、どうしても当てなければならない。しかも、バットを振って当てなければいけないから、バッティングが苦手だった私にはドキドキのサインだった。

 さて…1990年に岡田先生がすでに三塁エンドランを使っていたとなると、92年の全日本で大沢中が披露するよりも前に、神奈川県内で取り入れていた先生がいたことになる。しかも、岡田先生は、「セーフティーエンドラン」だった。つまり、キャッチャーがウエストしたら、三塁ランナーはスタートしない、という作戦。単純なエンドランとは違った。
 岡田先生に当時の真相(?)を聞きたいのだが、当時は鬼のような先生だった。卒業してから一度も会ってないうえ、今は野球から離れているということで、非常に聞きづらいし会いづらい。神奈川県内では多くの先生方にお会いしお世話になっているのに、母校の先生とは付き合いがない、というのはちょっとおかしな話。。

 そもそも、エンドランという作戦自体、いつ頃生まれたものなのか。勝手な推測だが、三塁エンドランはエンドランが生まれた当時には普通にあった作戦で、それがリスクの高い作戦と分かり、三塁エンドランはどんどん消滅していったのではないだろうか。残ったのが、一塁や二塁にいるときのエンドラン…だと推測しているのだが。

 この三塁エンドラン。「高校野球では使うことはないから、中学で教えても上では通用しない」と使わない先生もいる。

 


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